2025年
礼拝メッセージ

日曜礼拝と水曜集会のメッセージおよびモーニングメッセージです。
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2025年5月21日(水)
水曜集会 〜勝利の賛歌〜

ハレルヤ♪御名をあがめます。本日は詩篇68篇1節〜10節です。題は勝利の賛歌です。

1節〜2節「神よ、立ちあがって、その敵を散らし、神を憎む者をみ前から逃げ去らせてください。煙の追いやられるように彼らを追いやり、ろうの火の前に溶けるように悪しき者を神の前に滅ぼしてください」
敵の敗北を願う祈りです。ここに「神よ立ち上がって」とありますが、これは神様の臨在を現していて、神様の臨在が敵の敗北を意味します。だから、私達も信仰生活、教会生活に神様が立ち上がって下さる事、神様がご臨在して下さる事を願い求めていきましょう。


3節「しかし正しい者を喜ばせ、神の前に喜び踊らせ、喜び楽しませてください」
喜びや楽しみを求める祈りです。神様は常に私達の幸せを願って下さるお方です。だから、私達が喜び楽しむことを願い、事を行って下さいます。神様に喜びや楽しみを祈り求めていきましょう。


4節「神にむかって歌え、そのみ名をほめうたえ。雲に乗られる者にむかって歌声をあげよ。その名は主、そのみ前に喜び踊れ」
神様をほめたたえるようにとの勧めの言葉です。私達は神様をほめたたえる事を喜びとし、これからも力を尽くしてほめたたえていきましょう。


5節「その聖なるすまいにおられる神はみなしごの父、やもめの保護者である」
神様は父であり、保護者です。守って養って下さるお方です。お頼りしていきましよう。


6節「神は寄るべなき者に住むべき家を与え、めしゅうどを解いて幸福に導かれる。しかしそむく者はかわいた地に住む」
神様は私達が安心して生きる環境と関係を備えて下さり、幸福に導いて下さいます。


7節〜10節「神よ、あなたが民に先だち出て、荒野を進み行かれたとき、シナイの主なる神の前に、イスラエルの神なる神の前に、地は震い、天は雨を降らせました。神よ、あなたは豊かな雨を降らせて、疲れ衰えたあなたの嗣業の地を回復され、あなたの群れは、そのうちにすまいを得ました。神よ、あなたは恵みをもって貧しい者のために備えられました」
イスラエルの民が荒野において生活していた時、神様が導かれた事が記されています。実は私達も天国を目指して、今、世の中という荒野を歩んでいます。荒野だから、痛みや病、悩みや苦しみがあります。しかし、神様はその荒野を先に出て歩んで下さいます。さらに恵みの雨を降らせてくださり、満たして下さいます。今、イエス様を通して、それが私達に与えられます。私達は信仰を持って祈り求めていきましよう。


神様は今も生きて働いて下さり、私達と共に歩んで下さいます。この神様を信じ、この神様に求め、この神様をほめたたえて、喜びと楽しみと恵みに満たされていきましょう。ハレルヤ

2025年5月21日(水)
モーニングメッセージ 〜あわれむ者に〜

隣り人を卑しめる者は罪びとである、貧しい人をあわれむ者はさいわいである。箴言14章21節
この御言葉の通りです。卑しめる者にならないで、あわれむ者になっていきましょう。

2025年5月20日(火)
モーニングメッセージ 〜賢く、忍耐強く〜

怒りやすい者は愚かなことを行い、賢い者は忍耐強い。箴言14章17節
神様の知恵をいただいて、賢く、忍耐強く生きていきましょう。

2025年5月19日(月)
モーニングメッセージ 〜用心深く〜

知恵ある者は用心ぶかく、悪を離れる、愚かな者は高ぶって用心しない。箴言14章16節
私達は神様の知恵をいただき、いろいろな事に用心ふかくして、悪を離れて生きていきましょう。

2025年5月18日(日)
礼拝メッセージ 〜神様からの約束の言葉〜

「彼がわたしを愛しているから わたしは彼を助け出す。 彼がわたしの名を知っているからわたしは彼を高く上げる。 彼がわたしを呼び求めれば わたしは彼に答える。わたしは苦しみのときに彼とともにいて 彼を救い 彼に誉れを与える。わたしは彼をとこしえのいのちで満ち足らせ わたしの救いを彼に見せる。」
詩篇91篇14節〜16節


〜神様からの約束の言葉〜

ハレルヤ御名をあがめます。
聖書には神様の約束の言葉がたくさん記されています。それを数えた人がいます。私が通っていた神学校の校長です。先生は著書の中でそれを繰り返し語っています。で、その数は32500です。そして、本日の御言葉もその一つです。詳しく見ていきましょう。

「彼がわたしを愛しているから わたしは彼を助け出す」。 
私達が神様を愛していく時、神様は私達を助けて下さいます。でも考えてみれば、私達が神様を愛する前に神様の方が私達を愛して下さいました。

ヨハネの福音書3章16節 「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである」
神様はひとり子であるイエス様をこの世に送り、そして、十字架において贖いの業をさせて、私達に永遠の命を与え、神様と交わり関わって生きられるようにして下さいました。だから、私達は神様に愛されている者として、この永遠の命をもって、神様との関わりを大切にして、教会に集い、礼拝をささげていきましょう。そして、神様は私達を悪魔の策略や様々な災いから、また病やいろいろな煩いから、助け出して下さいます。


次に「彼がわたしの名を知っているから わたしは彼を高く上げる 」
聖書の中に神様の御名がいろいろ記されています。癒し主・きよめ主・義なるお方・平安を賜うお方・牧者・勝利者など。またイエス様の御名もいろいろ記されています。よみがえりであり命・道、真理、命・門・良い羊飼い・ぶどうの木・世の光・いのちのパンなど。また聖霊様の御名もいろいろ記されています。いと近き助け主・導き手・教師・成長させて下さるお方など。私達はこれらの御名を知り、信じていきましよう。そして、神様、イエス様、聖霊様は、これらの御名による働きを私達にして下さり、私達は高く上げられます。この高く上げられるというのは、高く安全な所に引き上げて下さるという事で、神様の守りがあるという事です。


次に「彼がわたしを呼び求めればわたしは彼に答える」
聖書の中には神様に呼び求めた人がいろいろ記されています。ちなみに人類が神様に呼び求め始めたのはエノシュの時代からです。エノシュはセツの子どもで、セツはアダムとエバの子どもです。このエノシュの時代から神様を呼び求め、その後、ノア、アブラハム、イサク、ヤコブ、モーセ、ヨシュア、サムエル、ダビデが神様の名を呼び求めました。そして、呼び求める時にそれぞれが持っていたのが信仰です。神様の存在を信じ、神様の言葉を信じ、神様が大能の力を持っておられる事を信じて、神様の名を呼び求めました。その信仰に神様は答えて下さり、御業を現わして下さいました。今、私達も信仰を持って神様の名を呼び求めていきましょう。神様は御業を現わし、答えて下さいます。


次に「わたしは苦しみのときに彼とともにいて彼を救い彼に誉れを与える」
ここでまず覚えておくべき事は、神様を愛し、神様の名を知り、神様に呼び求める歩みをしていても苦しみの時があるという事です。そして、もう一つ覚えていただきたいことがあります。それが、苦しみの時に一人ではないという事です。神様が共にいて下さいます。それだけではなく、救いを与え、誉れを与えて下さいます。この御言葉通りです。


最後の約束の御言葉にいきます。「わたしは彼をとこしえのいのちで満ち足らせ、わたしの救いを彼に見せる」。神様はとこしえの命で満ち足らせて下さいます。これは神様と共に生きる命の事で、天国へ続く命です。この命により私達は希望を持って生きる事が出来ます。さらに神様は、「わたしの救いを彼に見せる」と。神様の救いは私達に平安と喜びを与えます。

本日の御言葉「彼がわたしを愛しているから わたしは彼を助け出す。 彼がわたしの名を知っているからわたしは彼を高く上げる。 彼がわたしを呼び求めれば わたしは彼に答える。 わたしは苦しみのときに彼とともにいて 彼を救い 彼に誉れを与える。わたしは 彼をとこしえのいのちで満ち足らせ わたしの救いを彼に見せる」。神様の約束の言葉を信仰を持って受けとめ、神様を愛し、神様の名を知り、神様に呼び求めていきましょう。ハレルヤ♪

2025年5月18日(日)
モーニングメッセージ 〜賢く歩む〜

思慮のない者はすべてのことを信じる、さとき者は自分の歩みを慎む。箴言14章15節
私達は賢く歩み、神様の前に謙っていきましょう。
本日は礼拝です。

2025年5月17日(土)
モーニングメッセージ 〜不確かなもの〜

人が見て自ら正しいとする道でも、その終りはついに死に至る道となるものがある。箴言14章12節
人の目は不確かです。だから、神様による判断が大切です。その為に神様の御言葉に耳を傾けていきましょう。
明日は礼拝です。

2025年5月16日(金)
モーニングメッセージ 〜神様によって栄える〜

悪しき者の家は滅ぼされ、正しい者の幕屋は栄える。箴言14章11節
神様によって栄えさせていただきましょう。その為にも信仰によって神様と共に正しく歩んでいきましょう。

2025年5月15日(木)
モーニングメッセージ 〜神様と正しい関係に〜

神は悪しき者をあざけられる、正しい者は、その恵みを受ける。箴言14章9節
神様と正しい関係になって、神様の恵みを受けていきましよう。

2025年5月14日(水)
水曜集会 〜祝福を求める祈り〜

ハレルヤ御名をあがめます。
本日は詩篇67篇です。題は「祝福を求める祈り」です。私達が実際に手本にすべき祈りです。そして、この祈りの中で、祝福を求め、同時に神様の素晴らしさを宣言しています。詳しく見ていきましょう。

1節〜2節『どうか、神がわれらをあわれみ、われらを祝福し、そのみ顔をわれらの上に照されるように。これはあなたの道があまねく地に知られ、あなたの救の力がもろもろの国民のうちに知られるためです』
ここの「み顔をわれらの上に照されるように」とあります。神様のみ顔は光輝いています。以前、神様の後姿を直接見たモーセはその顔が光り輝きました。後姿だけでも見て、顔が輝くという事は、神様のみ顔の光に照らされる時、私達の人生の全てが光り輝き、豊かに祝福されます。そして、私達が祝福される事により、神様の救いの力が人々の間に証されていきます。私達が祝福される事により、福音が前進していきます。


3節〜5節『神よ、民らにあなたをほめたたえさせ、もろもろの民にあなたをほめたたえさせてください。もろもろの国民を楽しませ、また喜び歌わせてください。あなたは公平をもってもろもろの民をさばき、地の上なるもろもろの国民を導かれるからです。神よ、民らにあなたをほめたたえさせ、もろもろの民にあなたをほめたたえさせてください』
人々が神様をほめたたえるようにとの祈りです。神様をほめたたえる事は、人が神様との絆を強く太くする大切な行動です。私達も多くの人が神様をほめたたえていけるように祈っていきましょう。ちなみに、私が作る替え歌は、初めての人も神様をほめたたえられるようにと作っています。


6節『地はその産物を出しました。神、われらの神はわれらを祝福されました』
この御言葉は、神様によって地が祝福されている事を表しています。産物を出す為には、太陽、雨、風などの自然の恵みが必要です。そして、それらを支配しているが神様です。神様は今私達一人一人の生活にも関心を持ち、その置かれている所で祝福して下さいます。


7節『神はわれらを祝福されました。地のもろもろのはてにことごとく神を恐れさせてください』
神様の祝福を感謝する祈りです。同時にその神様を多くの人が恐れるようになるための祈りです。人は神様を恐れる事により、その神様との関係が整えられ、また神様の教えを聞き、人との関係が整えられ平和が広がります。


私達は今イエス様の救いにあずかっている者として、また神様の祝福の中にいる者として、神様を多くの人がほめたたえ、恐れるように祈り、その事が成就するようにできる事をしていきましょう。ハレルヤ

2025年5月14日(水)
モーニングメッセージ 〜知恵の言葉〜

愚かな者の言葉は自分の背にむちを当てる、知恵ある者のくちびるはその身を守る。箴言14章3節
私達は神様の知恵をいただいて、その知恵の言葉をもって自分自身を守って生きましょう。

2025年5月13日(火)
モーニングメッセージ 〜自分の家庭や環境を守る〜

知恵はその家を建て、愚かさは自分の手でそれをこわす。箴言14章1節
神様の知恵をいただいて、自分の家庭、自分の置かれている環境や関係を守って生きましょう。神様の知恵から離れ、愚かさの中に生きていくと、それらを自ら壊してしまう事になってしまいます。

2025年5月12日(月)
モーニングメッセージ 〜災いを追いかけない〜

災は罪びとを追い、正しい者は良い報いを受ける。箴言13章21節
罪人は災いが追いかけてきます。そして、追いつかれてしまいます。イエス様を救い主と信じ、神様の前に正しい者とされ、良い報いを受けていきましょう。

2025年5月11日(日)
礼拝メッセージ 〜神様に喜ばれる為に〜

最後に兄弟たち。主イエスにあってお願いし、また勧めます。あなたがたは、神に喜ばれるためにどのように歩むべきかを私たちから学び、現にそう歩んでいるのですから、ますますそうしてください。
テサロニケ人への手紙第一4章1節


〜神様に喜ばれる為に〜

ハレルヤ御名をあがめます。
私達はイエス様の救いを受け、キリスト者とされています。そして、キリスト者として天国に向かって生きていますが、同時にこの世においてもいろいろな関わりの中に生きています。当然、キリスト者として生きようとする時、世の中のいろいろな関係で悩んでしまったり、迷ってしまったり、うまく調整できなくなってしまう事もあります。
そんな時、私達キリスト者の判断基準として行くべき事が「神様に喜ばれる」です。神様に喜ばれるかどうかを考えていく時、おのずと進むべき道、やるべき事がわかってきます。本日は聖書を通して神様に喜ばれる歩みを教えられていきましょう。

まずは、信仰による歩みです。べブル人への手紙11章6節『信仰がなければ、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神がご自分を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです』信仰による歩みはいつでもどこでもどんな時でも、神様がおられる事を信じて生きる事です。私達は教会に集まり、礼拝や集会の時は、神様がおられることを強く感じられると思いますが、神様は私達の日々の生活の中に、職場や学校におられます。それを信じていきましょう。

また、先ほどの御言葉の後半の真理も信じていきましょう。神様は求める者に報いて下さるお方です。皆さんは神様に祈り求めていますか?私はいろいろ祈り求めています。詩篇135篇6節『主はそのみこころにかなう事を、天にも地にも、海にもすべての淵にも行われる』。で、私は神様のみこころを悟りきれないので、どれがみこころか分からないので、とにかくいろいろ全部祈り求めます。で、神様はその求めに報いて下さいます。私達はそれも信じていきましょう。神様がおられる事、神様が求めに報いられる事を信じていく事が信仰による歩みで、神様が喜ばれる道です。

次に、神様に喜ばれる歩みは、愛を持って生きる歩みです。マタイの福音書22章37節〜39節『イエスは彼に言われた。「『あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、知性を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。』あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい』という第二の戒めも、それと同じように重要です』。ここに「重要です」と記されていますが、神様に喜ばれる為の重要な教えであります。その内容の一つ目が神様を愛する事です。私達は神様ご自身を愛し大切にして、実際、神様に関するすべての事を大切にしていきましょう。神様を礼拝する時を尊んで大切にして下さい。神様の言葉を大切にして、その教えに聞き従って下さい。神様の教会を大切にして、この集まりを喜んでいきましょう。


そして、もう一つも神様に喜ばれる重要な教えです。『あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい』。ここで「隣人」とありますが、この隣人についてイエス様がたとえ話をなさいました。一人のユダヤ人が旅をしていた時、強盗に襲われ、身ぐるみはがされ、半殺しにされて、道端に倒れていました。そこへ祭司が通りかかりましたが、道の反対側を通って行ってしまいました。次にレビ人も通りましたが、同じように去っていきました。ちなみに、祭司もレビ人もユダヤ人の宗教的教師です。
その後、サマリヤ人が通りかかりました。当時、サマリヤ人はユダヤ人と敵対していて、口も利かない関係にありました。しかし、そのサマリヤ人はその倒れていたユダヤ人を介抱し、自分のロバに乗せ、宿屋に連れて行って、お金まで支払ってあげました。そして、イエス様は「この三人のうち、誰がユダヤ人の隣人になったと思いますか?」と。

今、一人一人の身近な人ももちろん隣人ですが、イエス様は弱っている人、苦しんでいる人、助けを必要としている人があなたの隣人である事を教えています。もちろん、実際倒れている人に遭遇することはあまりないかも知れませんが、霊的に弱っている人、苦しんでいる人、イエス様の救いや愛を受けていない人が皆さんの周りにもいるはずです。その人達は隣人です。私達はその人達がイエス様の救いや神様の愛を受けられるように愛していきましょう。神様を愛し、隣人を愛する事は、神様に喜ばれる重要な事です。

最後にもう一つ神様に喜ばれる事をお伝えします。サムエル記第一15章22節〜23節『サムエルは言った。「主は、全焼のささげ物やいけにえを、主の御声に聞き従うことほどに喜ばれるだろうか。見よ。聞き従うことは、いけにえにまさり、耳を傾けることは、雄羊の脂肪にまさる。従わないことは占いの罪、高慢は偶像礼拝の悪。あなたが主のことばを退けたので、主もあなたを王位から退けた』。この言葉はイスラエルの最初の王サウルに向けて語られた言葉です。サウル王は最初神様の言葉に聞き従っていましたが、王位について時が経つにつれ高ぶり、神様の言葉を退け、神様の御心から離れていき、最終的に王位からも退けられました。
で、ここに神様の言葉に聞き従う事は神様に喜ばれる事と、同時に聞き従わない事は大きなマイナスである事が記されています。私達は神様の言葉に聞き従って、神様に喜ばれる歩みをしていきましょう。

本日の御言葉『最後に兄弟たち。主イエスにあってお願いし、また勧めます。あなたがたは、神に喜ばれるためにどのように歩むべきかを私たちから学び、現にそう歩んでいるのですから、ますますそうしてください』。私達は今神様に喜ばれる歩みをしています。信仰による歩み、愛を持って生きる歩み、神様の言葉に聞き従う歩みをますますしていきましよう。ハレルヤ♪

2025年5月11日(日)
モーニングメッセージ 〜神様と共に歩む〜

知恵ある者とともに歩む者は知恵を得る。愚かな者の友となる者は害をうける。箴言13章20節
人生において誰と歩むかで、いろいろ変わってきます。最も知恵のある神様と共に生きていきましょう。
本日は礼拝です。

2025年5月10日(土)
モーニングメッセージ 〜悪を捨てる〜

願いがかなえば、心は楽しい、愚かな者は悪を捨てることをきらう。箴言13章19節
本日の御言葉の通り、願いがかなえば楽しいです。しかし、なかなか自分の願い通りにはいかないのが人生です。そして、悪に沈んでしまう人が多くいます。そうならないように気をつけて、神様の知恵をいただいて生きていきましょう。
明日は礼拝です。

2025年5月9日(金)
モーニングメッセージ 〜戒めを守る〜

貧乏と、はずかしめとは教訓を捨てる者に来る、しかし戒めを守る者は尊ばれる。箴言13章18節
神様の戒め(教え)を守っていきましょう。貧乏と辱めが遠のいて、尊い事が近づいてきます。

2025年5月8日(木)
モーニングメッセージ 〜忠実な使者〜

悪しき使者は人を災におとしいれる、しかし忠実な使者は人を救う。箴言13章17節
最も忠実な使者はイエス様です。そして、イエス様は実際人に救いを与えて下さいました。

2025年5月7日(水)
水曜集会 〜広い所、豊かな所、安全な所に導かれる〜

ハレルヤ♪御名をあがめます。本日は詩篇66篇10節〜20節です。

10節〜12節『神よ、あなたはわれらを試み、しろがねを練るように、われらを練られた。あなたはわれらを網にひきいれ、われらの腰に重き荷を置き、人々にわれらの頭の上を乗り越えさせられた。われらは火の中、水の中を通った。しかしあなたはわれらを広い所に導き出された』。神様による試練について記されています。

ヘブル人への手紙に『主は愛する者を訓練し、受けいれるすべての子を、むち打たれるのである」。あなたがたは訓練として耐え忍びなさい。神はあなたがたを、子として取り扱っておられるのである。いったい、父に訓練されない子があるだろうか』とあります。

さらにコリント人への第一の手紙に『あなたがたの会った試錬で、世の常でないものはない。神は真実である。あなたがたを耐えられないような試錬に会わせることはないばかりか、試錬と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである』と。


そして、12節の後半に『広い所に導き出された』と。神様はたとえ試練の中に陥っても、必ず安全で豊かな所に導き出して下さいます。


13節『わたしは燔祭をもってあなたの家に行き、わたしの誓いをあなたに果します』
神様を礼拝し、神の民としての誓いを果たすという事です。私達もそうしていきましょう。


14節〜15節『これはわたしが悩みにあったとき、わたしのくちびるの言い出したもの、わたしの口が約束したものです。わたしは肥えたものの燔祭を雄羊のいけにえの煙と共にあなたにささげ、雄牛と雄やぎとをささげます』。ここに記されている誓いをこの詩篇の記者は、悩みの中に会った時に言いました。悩みの中にある時こそ、私達は真の神様に向かう時を大切にしていきましょう。

16節〜17節『すべて神を恐れる者よ、来て聞け。神がわたしのためになされたことを告げよう。わたしは声をあげて神に呼ばわり、わが舌をもって神をあがめた』
神様が成して下さった事を宣言し、神様をほめたたえています。私達もそうしていきましょう。


18節〜19節『もしわたしが心に不義をいだいていたならば、主はお聞きにならないであろう。しかし、まことに神はお聞きになり、わが祈の声にみこころをとめられた』
神様は心に不義をいだいていると祈りを聞いてくれません。しかし、今私達はイエス様によって、その不義が赦され、神様の前に自由に祈る事が出来、その祈りを神様は受けとめて下さいます。


20節『神はほむべきかな。神はわが祈をしりぞけず、そのいつくしみをわたしから取り去られなかった』
神様は私達の祈りを退けず、逆に愛と恵みを与え続けて下さいます。だから、この神様をほめたたえていきましょう。

私達の神様は私達を愛しています。そして、絶えず関わって下さり、私達の成長を願い、さらにどんな時でも導き、最終的には広い所、豊かな所、安全な所に導いて下さいます。この神様をこれからもほめたたえていきましょう。ハレルヤ♪

2025年5月7日(水)
モーニングメッセージ 〜善良な賢い人〜

善良な賢い者は恵みを得る、しかし、不信実な者の道は滅びである。箴言13章15節
善良な賢い人になっていきましょう。神様を信じ、神様の教えに従っていく時、善良な賢い人になる事が出来ます。

2025年5月6日(振休・火)
モーニングメッセージ 〜神様の教えを聞く〜

知恵ある人の教は命の泉である、これによって死のわなをのがれることができる。箴言13章14節
最も知恵のあるお方は神様です。たから、神様の教えに耳を傾けていきましょう。神様と共に豊かな人生を歩む事が出来ます。

2025年5月5日(祝・月)
モーニングメッセージ 〜御言葉を大切に思う〜

み言葉を軽んじる者は滅ぼされ、戒めを重んじる者は報いを得る。箴言13章13節
神様の御言葉を大切に思って、その御言葉を信じ、御言葉を行っていきましょう。神様が報いて下さいます。

2025年5月4日(祝・日)
礼拝メッセージ 〜イエス様が遣わされた目的〜

神はまず、そのしもべを立てて、あなたがたに遣わされました。その方が、あなたがた一人ひとりを悪から立ち返らせて、祝福にあずからせてくださるのです。」使徒の働き3章26節

〜イエス様が遣わされた目的〜

ハレルヤ御名をあがめます。
本日の御言葉に『神はまず、そのしもべを立てて、あなたがたに遣わされました』とありますが、ここの「しもべ」とはイエス様の事です。神様がイエス様を私達の所に遣わして下さった事が記されています。そして、このイエス様が遣わされた目的が記されています。

実はイエス様がこの地に遣わされた目的が、聖書の中にいろいろ記されています。いくつか見ていきましょう。
ヨハネによる福音書3章16節『神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである』(口語訳)。ここにはイエス様によって、神様が私達を愛するという目的とイエス様によって私達が永遠の命を持つという目的が記されています。イエス様が遣わされた事によって、今私達一人一人は神様に愛されています。

イザヤ書43章4節『わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している』
(新改訳)という神様の言葉はイエス様によって、一人一人に直接語られているのです。
また、イエス様が遣わされた事によって、私達一人一人は永遠の命を持ち、神様と共に生き、また天国に向かって生きる事が出来ます。

他にもイエス様が遣わされた目的が記されている御言葉があります。ヨハネの福音書12章47節『だれか、わたしのことばを聞いてそれを守らない者がいても、わたしはその人をさばきません。わたしが来たのは世をさばくためではなく、世を救うためだからです』
(新改訳)イエス様は裁く為ではなく、救う為にこの世に遣わされました。そして、実際、魂の救い、心の救い、体の救い、生活の中の様々な救いを私達に与えて下さいます。

ヨハネの福音書8章12節にもイエス様が遣わされた目的が記されています。『イエスは再び人々に語られた。「わたしは世の光です。わたしに従う者は、決して闇の中を歩むことがなく、いのちの光を持ちます」』(新改訳)。イエス様は世の光として遣わされ、実際、私達の闇を照らして下さり、いのちの光をも持って生きる事が出来るようにして下さいました。そして、このいのちの光により、善意と正義と真実との実を結んでいく事が出来ます。

他にもイエス様が遣わされた目的が記されている御言葉がありますが、本日の御言葉に記されているイエス様が遣わされた目的を共に見ていきましょう。『その方が、あなたがた一人ひとりを悪から立ち返らせて』。実は、人は悪の中にいる事により、心の目が閉ざされて、何が危険なのか、何が正しいのか、何が幸せなのか、分からなくなってしまいます。そして、何につまずいてしまうかも分からずに、結局つまずいてしまいます。さらに、悪の中にいる事により、神様から遠のいて、当然、神様の恵みからも遠のいてしまいます。
イエス様は私達一人一人を悪から立ち返らせる為に、この世に来て下さいました。そして、今、悪から立ち返って信仰の道を歩んでいる私達一人一人が再び悪に立ち返らないように、御言葉をもって教え、聖霊様による導きを与えて下さっています。

最近、私が悪に立ち返らないように与えられている御言葉があります。エレミヤ書7章3節『イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。あなたがたの生き方と行いを改めよ。そうすれば、わたしはあなたがたをこの場所に住まわせる』(口語訳)。生き方と行いを改めていきたいと思っています。
さらに、本日の御言葉の後半『祝福にあずからせてくださるのです』。イエス様が遣わされた事により、私達は祝福にあずかる事が出来ます。聖書に『主の祝福は人を富ませる』とありますが、神様の祝福により、信仰が豊かになり、神様の恵みで豊かになり、それぞれが置かれている環境や関係において、神様の良いものを広げ、誰かを満たすことが出来ます。そして、励ましたり、慰めたり、元気にしたりする事が出来ます。
以前、礼拝を病気でお休みした人に、5分間礼拝のビデオメッセージを送ったら、返信のメールが来ました。「こうちゃんの顔を見るとホッとします」。こんな顔でも慰めや励ましを与える事が出来るのは、神様の祝福のおかげです。

イエス様は私達を悪から立ち返らせて、祝福にあずからせる為にこの世に来て下さいました。今、私達は祝福にあずかっています。神様の祝福をもって生きていきましょう。ハレルヤ♪

2025年5月4日(祝・日)
モーニングメッセージ 〜高ぶらない〜

高ぶりはただ争いを生じる、勧告をきく者は知恵がある。箴言13章10節
神様に対しても、人に対しても高ぶらずにいきましょう。そして、神様からの勧告にも、人からの勧告にも耳を傾けて知恵を得ていきましょう。
本日は礼拝です。

2025年5月3日(祝・土)
モーニングメッセージ 〜正しい者の光〜

正しい者の光は輝き、悪しき者のともしびは消される。箴言13章9節
イエス様にあって正しい者として正しい歩みをして、キリストの光を輝かしていきましょう。
明日は礼拝です。

2025年5月2日(金)
モーニングメッセージ 〜なまけ者〜

なまけ者の心は、願い求めても、何も得ない、しかし勤め働く者の心は豊かに満たされる。箴言13章4節
なまけ者にならないようにしていきましょう。その為に自分の為すべき事、出来る事をやっていきましょう。やっていく時、心が満たされます。

2025年5月1日(木)
モーニングメッセージ 〜善良な人〜

善良な人はその口の実によって、幸福を得る、不信実な者の願いは、暴虐である。箴言13章2節
皆さんは善良な人ですか?神様は私達を善良な人にして下さいます。そして、良い実を結び、神様にも人々にも喜ばれる存在になります。

2025年4月30日(水)
モーニングメッセージ 〜教訓を聞いて知恵を得る〜

知恵ある子は父の教訓をきく、あざける者は、懲らしめをきかない。箴言13章1節
父なる神様の教訓を聞いて、知恵を得ていきましょう。神様の知恵は私達を幸せに導きます。

2025年4月29日(祝・火)
モーニングメッセージ 〜正義の道〜

正義の道には命がある、しかし誤りの道は死に至る。箴言12章28節
イエス様を救い主と信じる道は正義の道です。そこには神様と共に生きる命があります。その道を信仰をもって歩んでいきましよう。

2025年4月28日(月)
モーニングメッセージ 〜怠る者〜

怠る者は自分の獲物を捕えない、しかし勤め働く人は尊い宝を獲る。箴言12章27節
怠る者とは、自分の為すべき事、自分のできる事をやらない人です。勤め働く人は、自分の為すべき事、自分のできる事をやる人です。勤め働いて、尊い宝を得ていきましょう。

2025年4月27日(日)
礼拝メッセージ 〜エレミヤの祈り〜

私を癒やしてください、主よ。そうすれば、私は癒やされます。私をお救いください。そうすれば、私は救われます。あなたこそ、私の賛美だからです。エレミヤ書17章14節

〜エレミヤの祈り〜

ハレルヤ御名をあがめます。
本日の聖書を記したエレミヤは「涙の預言者」と呼ばれるくらい大変な時代に予言者として働きました。実際、南ユダが崩壊し、民はバビロンに捕らわれ、移されてしまいました。イスラエルにとって最も暗い悲劇的な時代だったそうです。だから、エレミヤが預言者として神様の言葉を伝えても、民は信じない、受け入れない、逆に攻撃してくる人たちもいたそうです。

で、エレミヤは神様に祈りました。それが本日の御言葉です。詳しく見ていきましょう。
「私を癒やしてください、主よ。そうすれば、私は癒やされます」。この時、エレミヤは厳しい現状の中で、心も体も病んでいたのかも知れません。そして、この祈りはエレミヤが自分の為だけに祈ったのではなく、イスラエルの民の為の祈りでもありました。イスラエルの民は神の民でありましたが、様々なマイナスな事が起き、苦しい状況に置かれました。そして、その原因はイスラエルの他者不信仰と罪(的外れ)です。

神様の言葉を信じないで、さらに神ならぬ偶像を拝むという的外れな行動によって、真の神様との関係が壊れてしまうという病に陥ってしまいました。エレミヤは神様との関係の回復という癒しを祈り求めました。
私達もこの神様との関係の回復という癒しを求める祈りを絶えずしていきましょう。実は、私達はこの世での生活で、知らず知らずに世の中の様々な煩いや習慣に影響を受けて、神様との関係が希薄になったり、いつの間にか神様を遠くに感じてしまったりすることがあります。

イエス様が最後の晩餐の時に弟子達の足を洗いました。その時、ペテロが「決して私の足を洗わないでください」と。イエス様が「わたしがあなたを洗わなければ、あなたと私と関係がないことになります」と。ペテロは「主よ、足だけでなく手も頭も洗ってください」と。イエス様は「水浴した者は足以外は洗う必要がありません。全身がきよいのです」と。足というのは生活を表していて、その生活の中でいろいろ汚れてしまうので、イエス様は足を洗って、関係を保つことを教えたのです。
だから、私達もエレミヤのように「 私を癒やしてください、主よ。そうすれば、私は癒やされます 」と祈って、神様との関係の回復をしていただきましょう。これによって、私達は神様の愛に満たされ、神様の平安、神様の恵みに生きる事が出来ます。

次にエレミヤは「私をお救いください。そうすれば、私は救われます」と祈りました。エレミヤは自分の置かれている厳しい状況からの救いを求めました。そして、敵からの救い、災いからの救いを求めました。私達も同じように救いを求めていきましょう。
ある牧師先生が「救いとは?」の答えとして、「神様による変化、神様による改善、神様による成長、神様による祝福」と語っていました。神様の救いは、私達の生活に変化と改善と成長と祝福を与えます。だから、私達も神様の救いを求めていきましょう。そして、神様は私達の救いの為に御子イエス・キリストを送って下さり、このイエス様によって素晴らしい変化、正しい方への改善、イエス様の姿に成長、喜びを広げる祝福を与えて下さいます。

エレミヤは「癒やしてください」の後に「癒やされます」と。「救ってください」の後に「救われます」と信仰告白をしています。私達も同じように「癒やされます」「救われます」と信じて告白していきましょう。
最後にエレミヤは「あなたこそ、私の賛美だからです」と。これは神様がほめたたえられる唯一の存在であることを宣言したものです。私達も神様だけがほめたたえる唯一の存在であると信じて、神様をほめたたえる礼拝を尊んでいきましょう。

また、この「賛美」という言葉には「喜び」という意味も含まれていて、神様こそが私達に喜びを与えられる事をエレミヤは宣言しました。神様は私達にも喜びを与えて下さいます。

「私を癒やしてください、主よ。そうすれば、私は癒やされます。私をお救いください。そうすれば、私は救われます。あなたこそ、私の賛美だからです」。私達もエレミヤの祈りを覚えて、同じように祈り、神様の癒し、神様の救い、神様からの喜びを受けていきましょう。ハレルヤ

2025年4月27日(日)
モーニングメッセージ 〜悪を離れ去る〜

正しい人は悪を離れ去る、しかし悪しき者は自ら道に迷う。箴言12章26節
悪を離れ去っていきましょう。結局、悪は人を不幸にします。
本日は礼拝です。

2025年4月26日(土)
モーニングメッセージ 〜弱さや痛みを癒される〜

心に憂いがあればその人をかがませる、しかし親切な言葉はその人を喜ばせる。箴言12章25節
ここに「憂い」とありますが、これは弱さや痛みの事で、それが心にあると、苦しく辛く、かがんでしまう事もあります。しかし、その憂いを癒やし、元気にして下さるのが、イエス様の優しい言葉です。
明日は礼拝です。

2025年4月25日(金)
モーニングメッセージ 〜すぐに怒らない〜

愚かな人は、すぐに怒りをあらわす、しかし賢い人は、はずかしめをも気にとめない。箴言12章16節
本日の御言葉は、私にとって耳が痛いです。すぐに怒りを表してしまうタイプなので、気をつたいと思います。

2025年4月24日(木)
モーニングメッセージ 〜勧めを聞く〜

愚かな人の道は、自分の目に正しく見える、しかし知恵ある者は勧めをいれる。箴言12章15節
愚かな人は、自分を正しいと思い、自分の愚かさに気がつきません。しかし、知恵のある人はいろいろな勧めに耳を傾けます。神様からの勧めに耳を傾けていきましょう。

2025年4月23日(水)
モーニングメッセージ 〜言葉と行動に気を付ける〜

人はその口の実によって、幸福に満ち足り、人の手のわざは、その人の身に帰る。箴言12章14節
口の言葉と行動により、人は幸いを得る事が出来ます。だから、何を語り、何を行うかが大切になってきます。神様に対して、人に対して、言葉と行動に気をつけていきましょう。

2025年4月22日(火)
モーニングメッセージ 〜賢く立つ〜

悪しき者は倒されて、うせ去る、正しい人の家は堅く立つ。箴言12章7節
神様と正しい関係にある者の家庭には、神様の守りがあり、堅く立つことが出来ます。

2025年4月21日(月)
モーニングメッセージ 〜神様との正しい関係〜

正しい人の考えは公正である、悪しき者の計ることは偽りである。箴言12章5節
神様と正しい関係にある者として生き、公正な考え方をしていきましょう。

2025年4月20日(日)
イースター特別礼拝メッセージ 〜十字架と復活〜

それから、イエスはすべてのことが完了したのを知ると、聖書が成就するために、「わたしは渇く」と言われた。ヨハネ福音書19章28節
イエスは再び彼らに言われた。「平安があなたがたにあるように。父がわたしを遣わされたように、わたしもあなたがたを遣わします」。ヨハネの福音書20章21節

〜十字架と復活〜


ハレルヤ御名をあがめます。
本日はイースターです。いちおう、イースターの事について簡単にお伝えします。イースターは毎年日にちが違います。春分の日の次の満月の最初の日曜日がイースターで今年は4月20日。
あと、イースターという言葉は、ゲルマン神話における春の女神の名前エオストレが由来であると言われています。春の女神エオストレのイメージがイエス様の復活と通じるからだそうです。
あと、イースターエッグは、卵が新しい命を現わしているから、イエス様の復活の命の象徴みたいな感じで配られていたそうです。
では、イースターメッセージをお伝えします。

本日は、イエス様が直接語られた二つの言葉を共に見ていきたいと思います。まずは「 わたしは渇く 」です。これはイエス様が十字架の上で死の直前に語られた言葉です。これはイエス様が十字架にかかられて、身代わりに渇いて下さった事を表していて、同時にこのイエス様の十字架が私達の渇きを満たして下さる事を表しています。
私達はイエス様の十字架によって、義に満たされました。罪と悪の中に生きてしまう人を義に満たし神様と共に生きられるようにして下さいました。

また、イエス様の十字架によって、愛に満たされました。愛に渇いていた人が、神様の愛で満たされるようにして下さいました。イザヤ書の「私の目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」神様の言葉を受けとめられるようにして下さったのはイエス様の十字架です。そして、今私達は神様に愛され、神様を愛し、隣人を愛する道を歩めるようにされています。

また、イエス様の十字架によって、真理に満たされました。ニコデモというパリサイ人でイスラエルの教師がいました。彼は幼い時から律法を学び、真理を求めていましたが、イエス様がこの世に来られてから、他のパリサイ人達はイエス様に反対し、イエス様を殺す計画を立てていました。ニコデモは不思議に思い、イエス様に直接質問をしに行きました。そして、イエス様に「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである」と言葉をいただきましたて。そして、イエス様を救い主であると信じ、真理に満たされました。この後、ニコデモは、イエス様をお墓に葬る働きをアリマタヤのヨセフと一緒に行いました。

イエス様の十字架により、私達も真理に満たされます。そして、その真理に従っていく時、私達は力を得る事が出来ます。コリント人への第二の手紙13章8節に「わたしたちは、真理に逆らっては何をする力もなく、真理にしたがえば力がある」と。
他にもイエス様の十字架によって、私達は慰めや励まし、癒しや恵みに満たされる事が出来ます。私達の代わりにイエス様が渇いて下さり、私達を満たして下さいます。

次の御言葉にいきます。「平安があなたがたにあるように」。イエス様の弟子達はマジでビビッていました。師であるイエス様が捕まり、十字架刑で死罪。弟子である自分達も捕まるのではないかと、不安と恐怖の中にいました。
そんな中、マグダラのマリヤがよみがえられたイエス様にお会いしたと言ってきて、さらにエマオに向かっていた二人の弟子がよみがえられたイエス様にお会いしたと言ってきて、他の弟子達は不安と恐怖に加えて混乱の中にいました。そこに、イエス様が現れて下さり、「平安があなたがたにあるように」と。たぶん、彼らにとってイエス様が目の前に現れて下さった事で、十分平安が与えられたんだと思います。それでもイエス様は「平安があなたがたにあるように」と。

そして、今、この言葉はイエス様を信じる一人一人にも語られていて、実際に平安を与えて下さいます。そして、イエス様は私達が抱えている不安と恐怖と混乱を取り除けて下さいます。
ピリピ人への手紙4章6・7節「何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、すべての理解を超えた神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます」。私は思い煩う事が多くあります。以前父に「お前は、頭がよくないから思い煩っても解決できないから、神様に任せた方がいい」と言われましたが、思い煩う習慣からなかなか抜け出せません。だから、この御言葉のように、自分の願いを祈りの中で全部言います。むちゃなお願いも全部言います。すると、解決の前に神様の平安が与えられ、前に進むことが出来ます。イエス様は「平安があなたがたにあるように」と私達に語り、実際に平安を与えて下さいます。信じて受け取っていきましょう。

最後にイエス様は「父がわたしを遣わされたように、わたしもあなたがたを遣わします」と。イエス様は今私達を福音の香りを放つ器として、神様の愛をと遂げる者として、世の光として、キリストの証人として遣わそうとしています。それぞれが置かれている環境や関係において、遣わされていきましょう。
イエス様は「わたしは渇く」、「平安があなたがたにあるように」、「父がわたしを遣わされたように、わたしもあなたがたを遣わします」と語っています。私達も信仰をもってイエス様の言葉を受けとめて、イエス様に満たされ、平安の中を生き、福音の前進の為に用いられていきましょう。ハレルヤ♪

2025年4月20日(日)
モーニングメッセージ 〜善を求め行う〜

善人は主の恵みをうけ、悪い計りごとを設ける人は主に罰せられる。箴言12章2節
善を追い求め、善を行い、神様からの恵みを受けていきましょう。
本日はイースター礼拝です。

2025年4月19日(土)
モーニングメッセージ 〜神様の戒めを聞く〜

戒めを愛する人は知識を愛する、懲らしめを憎む者は愚かである。箴言12章1節
神様は聖書を通して、私達一人一人に戒めと懲らしめを与えられます。しっかりと耳を傾けていきましょう。
明日は礼拝です。

2025年4月18日(金)
モーニングメッセージ 〜家族を大切に〜

自分の家族を苦しめる者は風を所有とする、愚かな者は心のさとき者のしもべとなる。箴言11章29節
家族を大切にしていきましょう。家族を大切にすることはあなたの幸せに直結します。

2025年4月17日(木)
モーニングメッセージ 〜神様を頼り、神様により栄える〜

自分の富を頼む者は衰える、正しい者は木の青葉のように栄える。箴言11章28節
正しい者は神様を頼りとします。そして、神様により栄える事が出来ます。

2025年4月16日(水)
モーニングメッセージ 〜善を求める〜

善を求める者は恵みを得る、悪を求める者には悪が来る。箴言11章27節
善を求めていきましょう。神様からの恵みを得る事が出来ます。

2025年4月15日(火)
モーニングメッセージ 〜人を潤す者〜

施し散らして、なお富を増す人があり、与えるべきものを惜しんで、かえって貧しくなる者がある。物惜しみしない者は富み、人を潤す者は自分も潤される。箴言11章24節〜25節
人を潤す者は自分も潤されます。神様が潤して下さいます。

2025年4月14日(月)
モーニングメッセージ 〜正しい者の願い〜

正しい者の願いは、すべて良い結果を得、悪しき者の望みは怒りに至る。箴言11章23節
イエス様を救い主と信じて、神様との関係において正しい者は、自分の願いに対して、良い結果を得ます。神様が与えて下さいます。

2025年4月13日(日)
礼拝メッセージ 〜キリストの福音〜

十字架のことばは、滅びる者たちには愚かであっても、救われる私たちには神の力です。
コリント人への手紙第一1章18節


〜キリストの福音〜

ハレルヤ御名をあがめます。
本日の御言葉に「十字架の言葉」とありますが、これはイエス・キリストの福音の事です。そして、その福音は滅びる者には愚かであると本日の御言葉では教えています。これはキリストの福音を信じないで滅んでいく事は、大きな残念の中に歩む事であり、同時にキリストの福音を信じる事の大切さを表しています。そして、このキリストの福音が信じて救われている私達に神様の力を与えて下さいます。
本日は、このキリストの福音について、そしてそれに伴う神様の力について共に教えられていきましょう。

キリストの福音は、私達に救いを与えます。罪の赦し、贖い、魂の救いを与え、神様と共に生きる力が与えられます。そして、神様に賛美をささげ、礼拝し、神様に祈り求める事が出来、神様の教えを受けて、安全と安心のある歩みをする事が出来ます。

次にキリストの福音により、癒しが与えられます。イエス様は実際に多くの人々を癒されました。そして、イエス様の癒しの御業がなされた時に必ずあったのが信仰です。

盲人がイエス様に向かって「私をあわれんでください」と大声で叫び、イエス様が「私に何をしてもらいたいのだ」と。盲人は「主よ、見えるようになる事です」と。盲人はイエス様は自分を見えるようにして下さるという信仰により見えるようになりました。

中風の人をイエス様の所に連れてきた四人は、イエス様がおられた家の屋根に穴をあけて、その中風の人をつり下ろして、イエス様に癒しをお願いしました。聖書では「イエスは彼らの信仰を見て」と記されています。その中風の人は癒されました。今、私達の信仰も神様の御手を動かし、誰かの癒しにつながります。イエス様は今も生きて働いておられます。そして、私達を癒して下さいます。信仰をもって癒しを祈り求めていきましょう。

次にキリストの福音により、私達に聖霊様が与えられます。助け主、導き手、教師である聖霊様が与えられているから、私達は目に見えない神様を信じる事が出来、教会において共に集まり、礼拝をささげ、愛し合って信仰生活をする事が出来るのです。聖霊様は私達が愛の方へ、平和の方へ、神様の方へ進めるように背中を押して下さっています。

次にキリストの福音により、私達に祝福が与えられます。箴言10章22節『主の祝福は人を富ませる、主はこれになんの悲しみをも加えない』。神様の祝福によって、私達は豊かになる事が出来、喜びに満たされる事が出来ます。そして、神様の祝福により、私達は神様に仕え、人々に仕え、神様にも人々にも喜ばれる存在となる事が出来ます。

最後にキリストの福音により、私達は天国の約束が与えられます。一般的には人間は死に向かって生きています。これはどんな人でも同じです。しかし、私達キリスト者は死の先に天国が待っています。だから、先に天国へ行った愛する兄弟姉妹に対して安心することが出来、いつか合う事が出来るという希望を持つ事が出来ます。

ピリピ人への手紙3章20節『しかし、わたしたちの国籍は天にある。そこから、救主、主イエス・キリストのこられるのを、わたしたちは待ち望んでいる』。私達キリスト者はすでに天国に国籍があり、名前が記されています。天国の国民として登録されています。だから、私達は天国の国民として、この世にあっても信仰をもっいて神様との交わりを大切にし、神様が建てた教会に集まり、神様の教えに生きていきましょう。

キリストの福音によって、今、私達は救い・癒し・聖霊・祝福・天国の約束が与えられています。そして、それらの恵みに神様が実際に力を現わして下さいます。来週はイースターです。イエス様の十字架と復活によって与えられた神様の力をもって、イエス様のご復活を心からお祝いしていきましょう。ハレルヤ♪

2025年4月13日(日)
モーニングメッセージ 〜正しい人は主の救いを得る〜

確かに、悪人は罰を免れない、しかし正しい人は救を得る。箴言11章21節
イエス様を救い主と信じて、神様との関係が正しい者は、救いを得ます。魂の救い、心の救い、体の救い、生活の中での様々な救いを得ます。
本日は礼拝です。

2025年4月12日(土)
モーニングメッセージ 〜素直な心を持つ〜

心のねじけた者は主に憎まれ、まっすぐに道を歩む者は彼に喜ばれる。箴言11章20節
心がねじけていると、神様だけでなく、人からも嫌がられます。神様に対しても人に対しても素直な心を持っていきましょう。
明日は礼拝です。

2025年4月11日(金)
モーニングメッセージ 〜正義を賢く保つ者〜

悪しき者の得る報いはむなしく、正義を播く者は確かな報いを得る。正義を堅く保つ者は命に至り、悪を追い求める者は死を招く。箴言11章18節〜19節
正義を播く者、正義を堅く保つ者は、神様からの確かな報いと神様が与えて下さる素晴らしい命に生きる事が出来ます。

2025年4月10日(木)
モーニングメッセージ 〜愛と優しさを持つ〜

いつくしみある者はおのれ自身に益を得、残忍な者はおのれの身をそこなう。箴言11章17節
いつくしみのある者とは、愛と優しさを持っている人の事です。そういう人は結局様々な利益を得る事が出来ます。

2025年4月9日(水)
水曜集会 〜神への渇き〜

ハレルヤ♪御名をあがめます。本日は詩篇63篇です。題は「神への渇き」です。

1節『神よ、あなたはわたしの神、わたしは切にあなたをたずね求め、わが魂はあなたをかわき望む。水なき、かわき衰えた地にあるように、わが肉体はあなたを慕いこがれる』
これは自分の渇きを神様が満たして下さると信じる信仰告白です。私達も神様が自分の全ての渇きを満たして下さると信じて、神様を求めていきましょう。


2節〜3節『それでわたしはあなたの力と栄えとを見ようと、聖所にあって目をあなたに注いだ。あなたのいつくしみは、いのちにもまさるゆえ、わがくちびるはあなたをほめたたえる』
ダビデは神様がおられる聖所において、礼拝をささげ、神様の力と栄を見せていただこうとしました。私達も礼拝をささげ、神様をほめたたえて、神様の臨在にふれ、神様の力、神様の栄光を見せていただきましょう。


4節『わたしは生きながらえる間、あなたをほめ、手をあげて、み名を呼びまつる』
ダビデは生きる限り主をほめたたえる事を宣言しました。私達もそうしていきましょう。あと、ここに「手をあげて、み名を呼びまつる」とありますが、これは神様を仰ぎ見る姿勢であり、同時に神様に全てを委ねて、お任せする姿勢です。私達も同じようにしていきましょう。


5節〜6節『わたしが床の上であなたを思いだし、夜のふけるままにあなたを深く思うとき、わたしの魂は髄とあぶらとをもってもてなされるように飽き足り、わたしの口は喜びのくちびるをもってあなたをほめたたえる』
ダビデは寝床でも神様の事を思い、神様によって満たされる事を感謝し、賛美をささげました。

7節『あなたはわたしの助けとなられたゆえ、わたしはあなたの翼の陰で喜び歌う』
ここでは神様の助けに感謝して賛美をささげました。


8節『わたしの魂はあなたにすがりつき、あなたの右の手はわたしをささえられる』
神様にすがりつく時、神様は支えて下さいます。私達も全ての事において、神様にすがりついて、神様に支えていただきましょう。


9節〜10節『しかしわたしの魂を滅ぼそうとたずね求める者は地の深き所に行き、つるぎの力にわたされ、山犬のえじきとなる』
敵の敗北が記されています。私達が神様にすがりつく時、私達の敵が神様の敵となり、その神様が勝利して下さいます。


11節『しかし王は神にあって喜び、神によって誓う者はみな誇ることができる。偽りを言う者の口はふさがれるからである』。王の為のとりなしの祈りを含む言葉です。

私達は人生において、渇くことがあります。しかし、私達の神様はその渇きを豊かに満たすことが出来るお方です。そして、助け支えて下さるお方です。これからもこの神様にすがりついて、満たされて、益々賛美と感謝をささげていきましょう。ハレルヤ♪

2025年4月9日(水)
モーニングメッセージ 〜指導者・助言者〜

指導者がなければ民は倒れ、助言者が多ければ安全である。箴言11章14節
事を行うのに、指導者、助言者は必要です。教会においても神様という指導者がいて、さらに教会に来てくださる皆さんが助言者であり、支えられています。

2025年4月8日(火)
モーニングメッセージ 〜余計な事を言わない〜

人のよしあしを言いあるく者は秘密をもらす、心の忠信なる者は事を隠す。箴言11章13節
人の悪口や噂話をする人は信頼されずに、残念を広げてしまいます。余計な事をペラペラ話さずにいきましょう。

2025年4月7日(月)
モーニングメッセージ 〜悩みから救われる〜

正しい者は、悩みから救われ、悪しき者は代ってそれに陥る。箴言11章8節
神様との関係において正しい者は、悩みから救われます。神様が救って下さいます。

2025年4月6日(日)
礼拝メッセージ 〜主のわざに励む〜

しかし、神に感謝します。神は、私たちの主イエス・キリストによって、私たちに勝利を与えてくださいました。ですから、私の愛する兄弟たち。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは、自分たちの労苦が主にあって無駄でないことを知っているのですから。コリント人への手紙第一15章57節〜58節

〜主のわざに励む〜

ハレルヤ♪御名をあがめます。本日の聖書コリント人への手紙第一15章には、復活についての事がいろいろ記されています。当時の人々の中には「死者の復活はない」と主張し、イエス様の復活も信じる事が出来ない人達がいました。それに対して、パウロが真実を語り、復活の恵みを伝えました。

イエス様が復活された事には大切な意味があります。それがコリント人への手紙第一15章54節〜56節に記されています。各自で聖書を開いて下さい。で、そこには、人にはどうすることもできない「死」に敗北を与え、「死」に勝利するという旧約聖書の預言がイエス様によって実現したことが表されています。復活により死に勝利したイエス様は、私達にも復活の力を与え、死に勝利させて下さいました。15章57節「・・・神は、私たちの主イエス・キリストによって、私たちに勝利を与えてくださいました」。キリスト者にとって死が終わりではありません。復活の命によって死が天国への通過点に過ぎないようになりました。私達はこの復活の恵みに心から感謝していきましょう。キリスト教の三大祭り、クリスマス・イースター・ペンテコステ。イエス様が死に勝利されたのがイースターです。そして、そのイースターは今月4月20日です。復活の恵みを心から感謝して、イースターをお祝いしていきましょう。

そして、この復活の恵みの中にいて、復活の命に生きている私達に対して、パウロが勧めている教えが本日の御言葉です。「ですから、私の愛する兄弟たち。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは、自分たちの労苦が主にあって無駄でないことを知っているのですから」

まず「堅く立って、動かされることなく」。これは信仰に堅く立って、神様の所から動かされないようにという事です。実は悪魔・悪霊が私達の信仰を揺さぶり、神様の所から離さないようにいろいろ攻撃してきます。だから、私達は信仰に堅く立って神様の所から動かされないようにしていきましょう。

そして、その為には、まず御言葉です。エペソ人への手紙6章17節「救いのかぶとをかぶり、御霊の剣、すなわち神のことばを取りなさい」。このエペソ人への手紙6章には「神の武具」についていろいろ記されていて、その中で「御霊の剣」だけが攻撃する武器です。御霊の剣である神様の言葉をとっていく時、悪魔・悪霊に勝利し、信仰に堅く立つことが出来ます。

さらに私達は祈りによっても信仰に堅く立つことが出来ます。祈りとは神様に介入していただくことです。神様の介入により、そこに勝利が現れます。祈りと御言葉によって、信仰に堅く立ち、神様の所から動かされないようにしていきましょう。

次に「いつも主のわざに励みなさい」主のわざとは、キリスト者がなすべき大切な事で、まずは礼拝です。ヨハネの福音書4章23節「しかし、まことの礼拝者たちが、御霊と真理によって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はそのような人たちを、ご自分を礼拝する者として求めておられるのです」。礼拝する者を神様は求めておられます。力を尽くして礼拝をささげ、神様をほめたたえていきましょう。

あと、主のわざとして、愛する事です。イエス様が聖書を通して繰り返し教えている「互いに愛し合いなさい」「あなたのとなり人を愛しなさい」を実際に行っていきましよう。

そして、もう一つ主のわざがあります。福音を伝える事です。マルコの福音書16章15節「全世界に出て行き、すべての造られた者に福音を宣べ伝えなさい」テモテへの手紙第二4章2節「みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい」福音はイエス様の救いを与え、神様の愛と恵みに生き、聖霊様の助けと導きを受ける為の人にとって一番大切なものです。伝えていきましょう。

私達が主のわざである礼拝・愛する事・福音を伝える事に励んでいく時、労苦があるかも知れません。実際あります。パウロ自身もいろいろありました。そして、私達もパウロとは比べものにならないかも知れませんが、いろいろ労苦があります。しかし、その労苦は無駄になりません。無駄にならず、必ず福音の前進に役立っていきます。

私達は今イエス様の復活の命をもって生かされている者として、信仰に堅く立ち、神様の所から動かされないようにして、主のわざに共に励んでいきましょう。ハレルヤ♪

2025年4月6日(日)
モーニングメッセージ 〜神様に謙って〜

高ぶりが来れば、恥もまた来る、へりくだる者には知恵がある。箴言11章2節
まずは神様の前に謙っていきましょう。神様は知恵も恵みも与えて下さいます。
本日は礼拝です。

2025年4月5日(土)
モーニングメッセージ 〜正しい者、悪しき者の行い〜

正しい者のこうべには祝福があり、悪しき者の口は暴虐を隠す。箴言10章6節
正しい者は自分の幸せだけでなく他者の幸せも考え願い、神様からの祝福を得る事が出来ます。一方、悪しき者はその心の中に他者を不幸にする暴虐を秘めています。
明日は礼拝です。

2025年4月4日(金)
モーニングメッセージ 〜神様の祝福〜

主の祝福は人を富ませる、主はこれになんの悲しみをも加えない。箴言10章22節
神様の祝福は、人を豊かにします。まず愛の面で豊かにし、愛する事、愛される事が多くなります。

2025年4月3日(木)
モーニングメッセージ 〜自分の口の言葉を制する〜

言葉が多ければ、とがを免れない、自分のくちびるを制する者は知恵がある。箴言10章19節
「口は禍の元」と言いますが、自分の口の言葉を制する者は、賢く生きる事が出来ます。

2025年4月2日(水)
水曜集会 〜信頼の歌〜

ハレルヤ♪御名をあがめます。本日は詩篇62篇です。題は「信頼の歌」です。
1節〜8節は信頼と黙想9節〜12節は人々への警告と信仰告白が記されています。
で、とにかく分かりやすい詩篇で、励まされ、元気になる御言葉が多くあります。詳しく見ていきましょう。

1節『わが魂はもだしてただ神をまつ。わが救は神から来る』
ここの「もだして」とありますが、これは「黙って」のことで、忍耐をもって神様を待ち望みますという事です。私達も日々そうしていきましょう。それぞれいろいろ抱えている悩みや問題や病、全ての事で神様を待ち望んでいきましよう。そして、その全ての事の救い(解決)は、神様から来ます。


2節『神こそわが岩、わが救、わが高きやぐらである。わたしはいたく動かされることはない』
この御言葉は、神様が私達を守って下さる事を表しています。感謝です。


3節〜4節『あなたがたは、いつまで人に押し迫るのか。あなたがたは皆、傾いた石がきのように、揺り動くまがきのように人を倒そうとするのか。彼らは人を尊い地位から落そうとのみはかり、偽りを喜び、その口では祝福し、心のうちではのろうのである』
敵についての言及です。ダビデの周りにはこのような敵がいました。私達の周りには、そこまでの敵はいないかも知れませんが、キリスト者の敵である悪魔はそのようにしてきます。

だから、5節のように、神様を待ち望んでいきましょう。

5節『わが魂はもだしてただ神をまつ。わが望みは神から来るからである』
神様は希望を与えて下さいます。


6節『神こそわが岩、わが救、わが高きやぐらである。わたしは動かされることはない』
この御言葉は2節と同じです。私達も同じように告白していきましよう。


7節〜8節『わが救とわが誉とは神にある。神はわが力の岩、わが避け所である。民よ、いかなる時にも神に信頼せよ。そのみ前にあなたがたの心を注ぎ出せ。神はわれらの避け所である』
信仰告白です。神様の所には救いと誉れがあり、神様が力の岩、避け所であり、私達を守って下さるお方です。そう信じていきましょう。そして、その神様に心を注ぎ出して、すべてをお任せしていきましょう。


9節『低い人はむなしく、高い人は偽りである。彼らをはかりにおけば、彼らは共に息よりも軽い』
人は高い低いをつけたがります。そして、優越感に浸ったり、劣等感に陥ったりします。でも、結局は神様の前には息りも軽い存在です。


10節『あなたがたは、しえたげにたよってはならない。かすめ奪うことに、むなしい望みをおいてはならない。富の増し加わるとき、これに心をかけてはならない』
ここでは、高い権力に頼らないように、略奪するようなことに力を費やさないように教えています。実は、人は欲により、その道に進んでしまいがちです。


11節『神はひとたび言われた、わたしはふたたびこれを聞いた、力は神に属することを』
全ての力は神様の所にある事を私達はしっかりと心にとめていきましょう。


12節『主よ、いつくしみもまたあなたに属すること。あなたは人おのおののわざにしたがって報いられるからである』。神様の所には、いつくしみ(恵み)もあります。そして、私達の信仰に豊かに報いて下さいます。私達はこれからもこの素晴らしい神様との関わりを大切にして、信仰をもって進み、神様の守り、助け、恵みを受けていきましょう。ハレルヤ♪

2025年4月2日(水)
モーニングメッセージ 〜神様の教訓と戒めを守る〜

教訓を守る者は命の道にあり、懲らしめを捨てる者は道をふみ迷う。箴言10章17節
神様の教訓、神様の戒めの言葉を守って生きましょう。神様がその歩みを祝福して下さいます。

2025年4月1日(火)
モーニングメッセージ 〜愛に生きる〜

憎しみは、争いを起し、愛はすべてのとがをおおう。箴言10章12節
本日の御言葉通りで、憎しみが争い(戦争)を起こします。そして、愛は人の失敗や過ちを赦し、覆ってくれます。愛に生きていきましょう。

2025年3月31日(月)
モーニングメッセージ 〜人を潤し満たす言葉〜

正しい者の口は命の泉である、悪しき者の口は暴虐を隠す。箴言10章11節
正しい者は、人を潤し満たす言葉を語る事が出来ます。

2025年3月30日(日)
礼拝メッセージ 〜門を開かれる神様〜

私がキリストの福音を伝えるためにトロアスに行ったとき、主は私のために門を開いておられましたが、私は、兄弟テトスに会えなかったので、心に安らぎがありませんでした。それで人々に別れを告げて、マケドニアに向けて出発しました。しかし、神に感謝します。神はいつでも、私たちをキリストによる凱旋の行列に加え、私たちを通してキリストを知る知識の香りを、いたるところで放ってくださいます。私たちは、救われる人々の中でも、滅びる人々の中でも、神に献げられた芳しいキリストの香りなのです。コリント人への手紙第二2章12節〜15節

〜門を開かれる神様〜

ハレルヤ御名をあがめます。
本日の聖書コリント人への手紙を書いたパウロは、神様の導きの中にいろいろな所で福音を伝えました。福音を伝える旅です。「伝道旅行」と呼ばれていて、3回行っています。「旅行」と聞くと、ちょっと休息できそうな感じもしますが、パウロの伝道旅行には様々な苦難と困難がありました。コリント人への手紙第二11章にそれが記されています。「何度も旅をし、川の難、盗賊の難、同胞から受ける難、異邦人から受ける難、町での難、荒野での難、海上の難、偽兄弟による難にあい」。これとは別に、ローマで鞭で打たれた事が三度、石で打たれた事が一度、ユダヤ人に鞭で打たれた事が五度、難船にあった事が三度、一昼夜海の上を漂った事が一度。マジでヤバい旅でした。しかし、その全てに神様が共にいて、パウロを守り、支え、助け、祝福し、福音の前進の為に生かし用いました。そして、パウロは様々な苦難や困難の数を遥かに超えた神様の恵みを味わい、見る事が出来ました。と同時にパウロの信仰は増していきました。
私達も様々な苦難や困難を受けても、神様は全ての時に共にいて、苦難や困難の数を遥かに超える恵みを与えて下さいます。そして、信仰も増して下さいます。信じて期待していきましょう。
で、本日の御言葉ですが、ここにもパウロの旅での出来事が記されています。詳しく見ていきましょう。

12節「私がキリストの福音を伝えるためにトロアスに行ったとき、主は私のために門を開いておられましたが」神様は門を開かれるお方です。モーセとイスラエルの民が荒野を旅していて、目の前に紅海、そして後ろにはエジプト軍が迫ってきました。神様はモーセに「あなたの杖を海に向かってかかげよ」と。モーセがその通りにすると、海が分かれて、乾いた道ができて、モーセとイスラエルの民は救いを得ました。神様が海を開いて下さいました。
ペテロが牢獄に捕らわれた時、神様の御使いがそばに立って、牢の中を光で照らし、ペテロに「急いで立ち上がりなさい」と。ペテロは神様の御使いに付いていきました。そして、第一第二の衛所を通り、町に入る鉄の門まで来ると、門がひとりでに開きました。その後、ペテロは弟子達の所へ行き、次の日の朝から福音を伝える働きをしました。神様の働きをしようとする時、また、福音の前進の為に力を尽くそうとする時、神様は私達にも必ず門を開いて下さいます。人間の力ではどうすることもできない鉄の門も神様が開いて下さいます。信じて期待していきましよう。

13節「私は、兄弟テトスに会えなかったので、心に安らぎがありませんでした。それで人々に別れを告げて、マケドニアに向けて出発しました」。パウロはテトスに会いたかったようです。このテトスは有能な伝道者であり、テモテと共にパウロの片腕のような存在でした。そして、パウロはテトスに直接手紙を書いています。「テトスへの手紙」です。パウロはテトスに会って平安を得たかったのだと思います。しかし、もしかしたらこの時テトスに会えなかったから、テトスへの手紙が記され、今この聖書に残っているのかも知れません。

私達も時として、自分の思う通りにならず、不安になったり、残念な気持ちになったりするかも知れません。しかし、神様は全てをご存じで、結局幸いが広がり、福音が前進するようにして下さいます。

14節「しかし、神に感謝します。神はいつでも、私たちをキリストによる凱旋の行列に加え、私たちを通してキリストを知る知識の香りを、いたるところで放ってくださいます」。パウロは自分の思い通りじゃなくても、神様に感謝しました。そして、パウロは神様が自分もキリストの凱旋の行列に加えて下さった事を感謝しています。このキリストの凱旋の行列というのは、キリストの救いの御業が豊かに現れる事です。その為にパウロを通して、キリストを知る知識の香りを神様はいたるところで放って下さいました。

15節「私たちは、救われる人々の中でも、滅びる人々の中でも、神に献げられた芳しいキリストの香りなのです」。今、私達一人一人も芳しいキリストの香りとされています。そして、福音を伝え、神様の愛やイエス様の救い、聖霊様の助けを広げる働きをする事が出来ます。
私達一人一人は、福音の前進の為に神様が生かし用いようとしている大切な存在です。その事をしっかりと覚えていきましょう。そして、その為に神様は門を開いて下さいます。ハレルヤ

2025年3月30日(日)
モーニングメッセージ 〜目くばせする者〜

目で、めくばせする者は憂いをおこし、あからさまに、戒める者は平和をきたらせる。箴言10章10節
目くばせする者には、裏があります。そして、そのほとんどが悪い事を考えています。
本日は礼拝です。

2025年3月29日(土)
モーニングメッセージ 〜神様の道を行く〜

まっすぐに歩む者の歩みは安全である、しかし、その道を曲げる者は災にあう。箴言10章9節
神様が「行け」という道をまっすぐに歩んでいきましょう。
明日は礼拝です。

2025年3月28日(金)
モーニングメッセージ 〜柔軟な心で受け止める〜

心のさとき者は戒めを受ける、むだ口をたたく愚かな者は滅ぼされる。箴言10章8節
神様の教えに対して、心を柔らかくして受け止めていきましょう。あと、むだ口をたたいく愚かな者にならないように気をつけましょう。

2025年3月27日(木)
モーニングメッセージ 〜正しい者、悪しき者の行い〜

正しい者のこうべには祝福があり、悪しき者の口は暴虐を隠す。箴言10章6節
正しい者は自分の幸せだけでなく他者の幸せも考え願い、神様からの祝福を得る事が出来ます。一方、悪しき者はその心の中に他者を不幸にする暴虐を秘めています。

2025年3月26日(水)
水曜集会 〜王の為のとりなしの祈り〜

ハレルヤ♪御名をあがめます。本日は詩篇61篇です。題は「王の為のとりなしの祈り」です。

1節『神よ、わたしの叫びを聞いてください。わたしの祈に耳を傾けてください』
ここに「聞いてください」「耳を傾けてください」と神様に訴えています。これは神様に聞いてもらいたいとの強い思いの現れです。私達も神様に対して、強い思いをもって祈り求めていきましょう。そして、神様は私達の祈りを聞き、私達の声に耳を傾けて下さいます。


2節『わが心のくずおれるとき、わたしは地のはてからあなたに呼ばわります。わたしを導いてわたしの及びがたいほどの高い岩にのぼらせてください』
ここに「わが心のくずおれるとき」とあります。新改訳聖書では「私の心が衰え果てる時」です。私達は信仰を持っていても、心が崩れる時、心が衰え果てる時があります。様々な敵や病や悩みなどで、そのようになる時があります。ダビデは何回もそのような時を通りました。私達もあるのではないでしょうか。しかし、その全てが神様の御手の中にある事を覚えて、ダビデのように神様に呼ばわっていきましょう。


3節『あなたはわたしの避け所、敵に対する堅固なやぐらです』
これは信仰告白です。神様が私達の避け所であると信じて告白していきましょう。神様が私達の堅固なやぐらであると信じて告白していきましょう。そして、私達の信仰生活、教会生活に神様の守りがある事を信じていきましよう。


4節『わたしをとこしえにあなたの幕屋に住まわせ、あなたの翼の陰にのがれさせてください』
神様の御手の中に生きる事を願う祈りです。私達もそのように祈っていきましよう。


5節『神よ、あなたはわたしのもろもろの誓いを聞き、み名を恐れる者に賜わる嗣業をわたしに与えられました』。ここに「み名を恐れる者に賜わる嗣業」とありますが、これは信仰者に約束された祝福の事です。神様は信仰者和祝福して下さいます。

6節〜7節『どうか王のいのちを延ばし、そのよわいをよろずよに至らせてください。彼をとこしえに神の前に王たらしめ、いつくしみとまこととに命じて彼を守らせてください』
王の為のとりなしの祈りです。ここでダビデは自分の事を祈ってもらっているのかも知れません。王が神様の祝福の中に生きる事により、国がまた国民が神様の祝福の中に生きる事が出来るので、この祈りをささげました。


8節『そうすればわたしはとこしえにみ名をほめうたう、日ごとにわたしのもろもろの誓いを果すでしょう』
祈りが聞かれる事の確信です。私達はこの信仰生活、教会生活において、いろいろな時があります。苦しい時、悲しい時、寂しい時、もちろん嬉しい時や楽しい時もあります。そして、その全ての時が神様の御手の中にある事を信じて、神様に呼び求めていきましょう。神様は必ず守り支えて下さいます。ハレルヤ♪

2025年3月26日(水)
モーニングメッセージ 〜時を逃さず行動する〜

夏のうちに集める者は賢い子であり、刈入れの時に眠る者は恥をきたらせる子である。箴言10章5節
本日の御言葉は、一言で言うと、「時を逃さずに行動しろ」です。やっていきましょう。

2025年3月25日(火)
モーニングメッセージ 〜自分の出来る事を力を尽くして行う〜

手を動かすことを怠る者は貧しくなり、勤め働く者の手は富を得る。箴言10章4節
本日の御言葉の「手を動かす」とは、自分の為すべき事です。自分の為すべき事、今自分が出来る事を力を尽くしてやっていきましょう。富を得る事が出来ます。

2025年3月24日(月)
モーニングメッセージ 〜不義と正義〜

不義の宝は益なく、正義は人を救い出して、死を免れさせる。箴言10章2節
本日は、不義と正義についての教えです。正義は救いを生み出します。

2025年3月23日(日)
礼拝メッセージ 〜イエス様はぶどうの木〜

わたしにとどまりなさい。わたしもあなたがたの中にとどまります。枝がぶどうの木にとどまっていなければ、自分では実を結ぶことができないのと同じように、あなたがたもわたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできません。わたしはぶどうの木、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人にとどまっているなら、その人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないのです。ヨハネの福音書15章4節〜5節

〜イエス様はぶどうの木〜

ハレルヤ♪御名をあがめます。本日の御言葉も、ヨハネの福音書に記されているイエス様の「わたしは・・・である」シリーズの一つです。ではここで、先週に引き続き「わたしは・・・である」シリーズを全部紹介しておきます。

「わたしはよみがえりであり、いのちである」
「わたしは道であり、真理であり、いのちである」
「わたしは門である」
「わたしは良い羊飼い(牧者)である」
「わたしは世の光である」
「わたしはいのちのパンである」


そして本日の御言葉「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である」

皆さん、ぶどう狩りに行ったことがありますか?私は子どもの頃、家族で行きました。一人一人にはさみが渡され、ぶどうの切り方を教わって、いざぶどう狩り。子どもであった私は面白がってぶどうをどんどん切って、最後にお会計。切った分だけ支払うシステム。母がちょっとイラっとしていました。
で、ぶどうの木から何本も枝が長く伸びていて、その枝にぶどうの実がぶるさがっていました。枝は木につながっているから、木から養分を得て、花を咲かせ、実を結ぶことが出来ます。当たり前の事です。

で、本日の御言葉ですが、イエス様はぶどうの木で、私達はその枝であるとイエス様ご自身が語っています。そして、枝が木につながって実を結ぶのが当たり前のように、私達はキリスト者としてイエス様という木につながっている事が当たり前なのです。

しかし、この当たり前の状態を壊そうと、悪魔・悪霊が攻撃してきたり、また枝である私達が自分の欲・楽・得の思いが強くなって、さらに高ぶる思いが出てきて、このつながりが弱くなってしまう事があります。
だから、イエス様は私達に「わたしにとどまりなさい」と語っているのです。実際、木であるイエス様にとどまるというのは、まずイエス様を救い主と信じる信仰にとどまっていくという事です。実際、目に見えないイエス様にとどまるには信仰が必要です。
コリント人への手紙第二4章18節に「私たちは見えるものにではなく、見えないものに目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠に続くからです」と記されています。私達はこの永遠に続いている永遠の救い主イエス様に目をとめて、信仰を持ち続けましょう。


次にイエス様にとどまる事として、イエス様の言葉、この聖書の教えにとどまっていきましよう。
詩篇119篇105節に「あなたのみことばは 私の足のともしび 私の道の光です」と記されています。この聖書の御言葉は、私達の人生の歩みを明るく照らし、光の方へ導いて下さいます。いつでもどんな時でもイエス様の言葉、聖書の教えにとどまっていきましょう。


次にイエス様にとどまる事として、神様の愛にとどまっていきましょう。
ヨハネの福音書15章9節に「父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛しました。わたしの愛にとどまりなさい」と記されています。私達はイエス様に愛されています。そして、イエス様の十字架の贖いにより、神様の愛を受けています。だから、イエス様に神様に愛されている事を常に信じて、イエス様を神様を愛して、イエス様・神様に関する事を大切にしていきましょう。


そして、もう一つイエス様にとどまる事として、神様が建てて下さった教会にとどまっていきましょう。
マタイの福音書18章20節に「二人か三人がわたしの名において集まっているところには、わたしもその中にいるのです」と記されています。今、目には見えませんがイエス様はここにいて下さっています。このイエス様が共にいて下さる集まりを大切にしていきましょう。

そして、イエス様に私達がとどまっていく時、イエス様も私達の中にとどまって下さいます。「わたしもあなたがたの中にとどまります」と。そして、イエス様がとどまっている所には、救いと恵みと平和があります。さらに実を結ぶことが出来、神様にも人々にも喜ばれる働きをする事が出来ます。2024年の教会の御言葉を覚えていますか?これです。
コリント人への手紙第二9章8節「神はあなたがたにあらゆる恵みを豊かに与え、あなたがたを常にすべてのことに満ち足らせ、すべての良いわざに富ませる力のあるかたなのである」。私達はイエス様にとどまり、実を結び、私達自身も豊かにされ、さらに良い業を行う事が出来るようになります。

4節の後半「枝がぶどうの木にとどまっていなければ、自分では実を結ぶことができないのと同じように、あなたがたもわたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできません」。5節「わたしはぶどうの木、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人にとどまっているなら、その人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないのです」
イエス様は私達が木であるイエス様にとどまることの大切さを強く教え、さらにとどまる事によって、素晴らしい働きをする事が出来ると約束して下さっています。


イエス様はぶどうの木です。そして私達はその枝です。イエス様にとどまっていきましょう。そして、イエス様にとどまっていただきましょう。そして、そして、実を結んでいきましょう。ハレルヤ

2025年3月23日(日)
モーニングメッセージ 〜知恵ある者は身近な人を喜ばせる〜

ソロモンの箴言。知恵ある子は父を喜ばせ、愚かな子は母の悲しみとなる。箴言10章1節
知恵をもって生きる者は、父や母のような身近な人を喜ばせる事が出来ます。一方、愚かな者は身近な人を悲しませます。
本日は礼拝です。

2025年3月22日(土)
モーニングメッセージ 〜神様を恐れる〜

主を恐れることは知恵のもとである、聖なる者を知ることは、悟りである。箴言9章10節
神様を恐れていきましょう。実際には神様の存在を信じ認め、礼拝する事です。それにより知恵を得、悟りを得る事が出来ます。
明日は礼拝です。

2025年3月21日(金)
モーニングメッセージ 〜神様の近くに生きる〜

わたしの言うことを聞き、日々わたしの門のかたわらでうかがい、わたしの戸口の柱のわきで待つ人はさいわいである。それは、わたしを得る者は命を得、主から恵みを得るからである。わたしを失う者は自分の命をそこなう、すべてわたしを憎む者は死を愛する者である」。箴言8章34節〜36節
神様の言葉を聞き、信仰をもって神様の近くに生きる者は、神様と共に生きる命と神様の恵みが与えられます。
一方、神様から離れて生きる者は、死を愛する事になります。

2025年3月20日(祝・木)
モーニングメッセージ 〜神様の知恵を得る〜

教訓を聞いて、知恵を得よ、これを捨ててはならない。箴言8章33節
神様の教えは私達に知恵を与えます。そして、幸いに導きます。

2025年3月19日(水)
水曜集会 〜敗北した民の嘆き〜

ハレルヤ♪御名をあがめます。本日は詩篇60篇です。題は「敗北した民の嘆き」です。

1節〜3節『神よ、あなたはわれらを捨て、われらを打ち破られました。あなたは憤られました。再びわれらをかえしてください。あなたは国を震わせ、これを裂かれました。その破れをいやしてください。国が揺れ動くのです。あなたはその民に耐えがたい事をさせ、人をよろめかす酒をわれらに飲ませられました』
ここに神様への訴えが記されていて、敗北は神様の怒りの結果であるとみなされていました。でも、神様を怒らせたのは民の生き方と行動です。


4節『あなたは弓の前からのがれた者を再び集めようとあなたを恐れる者のために一つの旗を立てられました』。ここに「一つの旗を立てられました」とあります。これは神様の臨在の前に立つ事で、弓の準備、戦いの準備の前に信仰の回復が大切である事を言い表しています。私達もいろいろな事で失敗したり、うまくいかなかったりする時もあるてしょう。そんな時はまず神様との関係を整え信仰に立つことが大切です。

5節『あなたの愛される者が助けを得るために、右の手をもって勝利を与え、われらに答えてください』
神様の助け、神様の勝利を求める祈りです。私達も同じように祈っていきましょう。


6節〜9節『神はその聖所で言われた、「わたしは大いなる喜びをもってシケムを分かち、スコテの谷を分かち与えよう。ギレアデはわたしのもの、マナセもわたしのものである。エフライムはわたしのかぶと、ユダはわたしのつえである。モアブはわたしの足だらい、エドムにはわたしのくつを投げる。ペリシテについては、かちどきをあげる」と。だれがわたしを堅固な町に至らせるでしょうか。だれがわたしをエドムに導くでしょうか』
いろいろな国の名前が出てきます。それらの全ては神様のご支配の中にあることを宣言しています。


10節『神よ、あなたはわれらを捨てられたではありませんか。神よ、あなたはわれらの軍勢と共に出て行かれません』
神様への不平不満のように思われますが、同時に神様がいなければ我々はどうすることもできないという信仰の姿勢でもあります。ある伝道師が「イエス様なしでは生きていけないのがクリスチャン」と言っていましたが、そうかもしれません。しかし、同時にイエス様がいて下されば何でもできるのもクリスチャンです。


11節『われらに助けを与えて、あだにむかわせてください。人の助けはむなしいのです』
ここでは神様の助けを求めています。同時に人の助けのむなしさも語っています。で、単に人の助けが不要であると言っているのではありません。ここに「あだにむかわせてください」とありますが、本当に戦わなければならない敵に勝利するには、神様の助けが必要である事を表しています。私達も神様の助けを求めて、悪魔との戦いに勝利していきましょう。


12節『われらは神によって勇ましく働きます。われらのあだを踏みにじる者は神だからです』
私達は神様によっていつましく働くことが出来ます。神様が勇気を与えて下さるからです。そして、神様の勝利を見る事が出来ます。


私達は人生において、いろいろな戦いがあります。その全てにおいて信仰を持ち、神様に介入していただきましょう。そして、神様の勝利を見させていただきましょう。ハレルヤ♪

2025年3月19日(水)
モーニングメッセージ 〜神様の言葉を聞く〜

それゆえ、子供らよ、今わたしの言うことを聞け、わたしの道を守る者はさいわいである。箴言8章32節
神様の言葉を聞いていきましょう。そして、その教えを心とめて、行っていきましょう。神様によって幸いを得る事が出来ます。

2025年3月18日(火)
モーニングメッセージ 〜神様を愛し、宝を得、満たされる〜

わたしは正義の道、公正な道筋の中を歩み、わたしを愛する者に宝を得させ、またその倉を満ちさせる。
箴言8章20節〜21節

神様を愛していきましょう。そして、神様の宝を得、神様に満たされていきましょう。

2025年3月17日(月)
モーニングメッセージ 〜私達を豊かに〜

富と誉とはわたしにあり、すぐれた宝と繁栄もまたそうである。箴言8章18節
神様は私達を豊かにする全てを持っておられます。この神様に聞き、神様に求め、神様を愛し、神様をほめたたえていきましょう。

2025年3月16日(日)
礼拝メッセージ 〜良い牧者と雇い人〜

わたしは良い牧者です。良い牧者は羊たちのためにいのちを捨てます。牧者でない雇い人は、羊たちが自分のものではないので、狼が来るのを見ると、置き去りにして逃げてしまいます。それで、狼は羊たちを奪ったり散らしたりします。彼は雇い人で、羊たちのことを心にかけていないからです。わたしは良い牧者です。わたしはわたしのものを知っており、わたしのものは、わたしを知っています。ちょうど、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じです。また、わたしは羊たちのために自分のいのちを捨てます。
ヨハネの福音書10章11節〜15節


〜良い牧者と雇い人〜

ハレルヤ♪御名をあがめます。本日の御言葉は、ヨハネの福音書に記されているイエス様の「わたしは・・・である」シリーズの一つです。ではここで、「わたしは・・・である」シリーズを全部紹介しておきます。
「わたしはよみがえりであり、いのちである」
「わたしは道であり、真理であり、いのちである」
「わたしは門である」
「わたしは良い羊飼い(牧者)である」本日の御言葉です。
「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である」
「わたしは世の光である」
「わたしはいのちのパンである」。


最後の「わたしはいのちのパンである」の御言葉を、私が神学校に通っている時に、ある先生が「神様がユダヤ人を選んだから命のパンになった」と語って、さらに「もし中国人だったら、命のチャーハン。インド人だったら、命のナン。日本人だったら、命のご飯」と。神学生達を楽しませようと頑張っていました。たぶん、楽しんでメモしていたのは私だけ。
で、本日の御言葉は、良い牧者と雇い人を対比して、良い牧者であるイエス様が羊である私達に為して下さる事が記されています。詳しく見ていきましょう。

まず、イエス様は良い牧者として命を捨てて下さいました。実際、十字架にかかり、自分の命を捨てて、私達の罪の贖いを為して下さり、赦しと清めと救いを与えて下さいました。良い牧者であるイエス様は、私達に赦しと清めと救いを与えて下さるお方である事を、私達はしっかりと心にとめていきましょう。

次に12節に雇い人について記されています。「牧者でない雇い人は、羊たちが自分のものではないので、狼が来るのを見ると、置き去りにして逃げてしまいます」。ちなみに良い牧者であるイエス様は、私達を置き去りにしたり、逃げたりしたりしません。詩篇23篇4節に「たといわたしは死の陰の谷を歩むとも、わざわいを恐れません。あなたがわたしと共におられるからです」とあれます。私達が死の影の谷のような厳しい中にいる時でも、イエス様は共にいて下さいます。

次に13節にも雇い人について記されています。「彼は雇い人で、羊たちのことを心にかけていないからです」。良い牧者であるイエス様は、私達に心をかけてくださいます。ペテロの手紙第一5章7節「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです」。良い牧者であるイエス様は、心をかけ、心を配って下さるお方です。

14節「わたしは良い牧者です。わたしはわたしのものを知っており、わたしのものは、わたしを知っています」。良い牧者であるイエス様は、私達一人一人の事を全て知っていて下さいます。私の弱さも、汚さも、ズルさも、せこいところも、また良いところも知っていて下さいます。知った上で、自分のものとして愛し導いて下さいます。私だけでなく、皆さんお一人お一人の事も知って、自分のものとして愛し導いて下さいます。だから、私達も良い牧者であるイエス様をもっと知っていきましょう。聖書を開いて読んで下さい。イエス様の事をもっと知っていきましょう。

15節でイエス様はもう一度「また、わたしは羊たちのために自分のいのちを捨てます」と語っています。良い牧者であるイエス様は、自分の命に代えてまでも、私達一人一人を救い、神の民として、神の羊として生きられるようにして下さいます。それぐらい私達一人一人は愛されていて大切な存在なのです。

私達の信じるイエス様は、良い牧者です。良い牧者としていつでも共にいて、私達の事に心をかけ、神の羊として愛し続けて下さいます。私達も神の羊として、イエス様を愛し、もっとイエス様の事を知り、イエス様と共に信仰の道を歩んでいきましょう。ハレルヤ♪

2025年3月16日(日)
モーニングメッセージ 〜神様を愛し、神様に愛される〜

わたしは、わたしを愛する者を愛する、わたしをせつに求める者は、わたしに出会う。箴言8章17節
神様を愛して、神様に愛されていきましょう。また神様を求めて、神様の近くを歩んだ行きましょう。
本日は礼拝です。

2025年3月15日(土)
モーニングメッセージ 〜金や宝石より神様の教え〜

あなたがたは銀を受けるよりも、わたしの教を受よ、精金よりも、むしろ知識を得よ。知恵は宝石にまさり、あなたがたの望むすべての物は、これと比べるにたりない。箴言8章10節〜11節
神様の教えは、金や宝石よりも尊く素晴らしいものです。
明日は礼拝です。

2025年3月14日(金)
モーニングメッセージ 〜主は高貴で正しく真実を語る〜

聞け、わたしは高貴な事を語り、わがくちびるは正しい事を語り出す。わが口は真実を述べ、わがくちびるは悪しき事を憎む。箴言8章6節〜7節
神様はいつも高貴な事を語り、正しい事を語り、真実を語って下さいます。神様の言葉に耳を傾けていきましょう。

2025年3月13日(木)
モーニングメッセージ 〜神様の悟りと知恵を得る〜

思慮のない者よ、悟りを得よ、愚かな者よ、知恵を得よ。箴言8章5節
神様の悟りと知恵を得ていきましょう。それらにより思慮のある歩みをする事が出来、賢く生きる事が出来ます。

2025年3月12日(水)
水曜集会 〜救いと裁きを求める祈り〜

ハレルヤ♪御名をあがめくす。本日は詩篇59篇です。題は「救いと裁きを求める祈り」です。

1節〜5節には、救いを求める嘆願が記されています。
『わが神よ、どうかわたしをわが敵から助け出し、わたしに逆らって起りたつ者からお守りください、悪を行う者からわたしを助け出し、血を流す人からわたしをお救いください。見よ、彼らはひそみかくれて、わたしの命をうかがい、力ある人々が共に集まってわたしを攻めます。主よ、わたしにとがも罪もなく、わたしにあやまちもないのに、彼らは走りまわって備えをします。わたしを助けるために目をさまして、ごらんください。万軍の神、主よ、あなたはイスラエルの神です。目をさまして、もろもろの国民を罰し、悪をたくらむ者どもに、あわれみを施さないでください』

6節〜9節は、敵の姿と砦なる神について記されています。
『彼らは夕ごとに帰ってきて、犬のようにほえて町をあさりまわる。見よ、彼らはその口をもってほえ叫び、そのくちびるをもってうなり、「だれが聞くものか」と言。しかし、主よ、あなたは彼らを笑い、もろもろの国民をあざけり笑われる。わが力よ、わたしはあなたにむかってほめ歌います。神よ、あなたはわたしの高きやぐらです』

10節〜13節には、敵の裁きを求める祈りが記されています。
『わが神はそのいつくしみをもってわたしを迎えられる。わが神はわたしに敵の敗北を見させられる。どうぞ、わが民の忘れることのないために、彼らを殺さないでください。主、われらの盾よ、み力をもって彼らをよろめかせ、彼らを倒れさせてください。彼らの口の罪、そのくちびるの言葉のために彼らをその高ぶりに捕われさせてください。彼らが語るのろいと偽りのために憤りをもって彼らを滅ぼし、もはやながらえることのないまでに、彼らを滅ぼしてください。そうすれば地のはてまで、人々は神がヤコブを治められることを知るに至るでしょう』

14節〜17節には、敵の姿と砦なる神について記されています。
『彼らは夕ごとに帰ってきて、犬のようにほえて町をあさりまわる。彼らは食い物のためにあるきまわり、飽くことを得なければ怒りうなる。しかし、わたしはあなたのみ力をうたい、朝には声をあげてみいつくしみを歌います。あなたはわたしの悩みの日にわが高きやぐらとなり、わたしの避け所となられたからです。わが力よ、わたしはあなたにむかってほめうたいます。神よ、あなたはわが高きやぐら、わたしにいつくしみを賜わる神であられるからです』

で、本日はこの中で、私達の信じる神様がどのようなお方であるかを教えられていきたいと思います。
1節、2節に「敵から助けられるお方」「お守りくださるお方」「お救い下さるお方」と。私達もその事を信じて、神様の助け、守り、救いを祈り求めていきましょう。

5節「万軍の主」と。これは全宇宙の支配者という意味です。私達の神様はそのようなお方です。

9節「わが力」と。神様は力そのものです。そして、全ての力を与えて下さるお方です。また、私達の為に力を現わして下さるお方です。
「高きやぐら」。「やぐら」をヘブル語で「ミスガブ」といい、三つの意味があります。@砦の事で、敵が攻めてきた時に立てこもる安全な場所。A高い場所で、遠くを見渡すことが出来、敵に備える場所。B避け所で、敵や災いを避ける事が出来る場所。で、神様ご自身が高きやぐらとして、私達を守り支えて下さるお方です。

10節「いつくしみをもって私達を迎えて下さるお方」

17節「ほめたたえられる神」。私達はこの神様をほめたたえる事に力を尽くしていきましょう。
「いつくしみを賜る神」。神様は恵みの神で、私達を恵んで下さいます。

私達はこの素晴らしい神様を信じています。そして、神様はイエス様を通して私達を愛し、私達の人生に事を成して下さいます。ハレルヤ♪

2025年3月12日(水)
モーニングメッセージ 〜父なる神様の言葉を聞く〜

子どもらよ、今わたしの言うことを聞き、わが口の言葉に耳を傾けよ。箴言7章24節
父なる神様の言葉を聞いていきましょう。父なる神様の言葉は私達の歩みを守り支え、幸せに導きます。

2025年3月11日(火)
モーニングメッセージ 〜神様と共に生きる道〜

わたしの戒めを守って命を得よ、わたしの教を守ること、ひとみを守るようにせよ。箴言7章2節
神様の戒め(教え)は、私達に神様と共に生きる命を与えます。神様の戒め(教え)を聞き、心にとめていきましょう。

2025年3月10日(月)
モーニングメッセージ 〜神の子として戒めを心にとめる〜

わが子よ、わたしの言葉を守り、わたしの戒めをあなたの心にたくわえよ。箴言7章1節
本日の御言葉に「わが子よ」とありますが、私達はイエス様により神の子とされています。そして、神の子として父なる神様の言葉、戒めを心にとめていきましよう。

2025年3月9日(日)
礼拝メッセージ 〜神と共に〜

しかし、ノアは主の心にかなっていた。これはノアの歴史である。ノアは正しい人で、彼の世代の中にあって全き人であった。ノアは神とともに歩んだ。創世記6章8節〜9節

〜神と共に〜


ハレルヤ御名をあがめます。本日はノアのお話です。
旧約聖書に「ノア」の名前が最初に出てきたのは創世記5章29節『彼はその子をノアと名づけて言った。「この子は、主がのろわれたこの地での、私たちの働きと手の労苦から、私たちを慰めてくれるだろう」』。

ちなみに、この5章にはアダムからの人類の歴史が記されていて、その一人一人の寿命がとにかく長い。アダムは930才まで生きた。その息子セツは912まで。そのセツの息子のエノシュは905才。次のケナンは910才。マハラルエルは895才。ヤレデは962才。エノクは365才。このエノクは聖歌588番に出てくる「エノクのごとくに」のエノクです。聖書では「エノクは神と共に歩んだ。神が彼を取られたので、彼はいなくなった」と。

実は、人類は長生きしていたけれど、その歩みは労苦の歩みだったようで、同時に悪が拡大していったようです。で、その中で神様と共に歩んでいたエノクは、その悪や労苦の世界から、神様が特別に引き上げて下さったのだと思われます。

そして、ノアですが、先ほど読んだ御言葉のようにノアの父レメクが「この子は、主がのろわれたこの地での、私たちの働きと手の労苦から、私たちを慰めてくれるだろう」と期待を込めて「ノア」と名づけました。ちなみに「ノア」の意味は「安息」です。

そして、ノアは皆さんご存じのように、神様から箱舟を造るように命じられます。神様はこの地の人々が神様の前に堕落し、世の中が暴虐で満ちている事から、この地の人々を滅ぼす事を決めました。そして、正しい、全き人であったノアとその家族を救い、命をつなぐために箱舟を造るように命じたのです。

ちなみに、その箱舟の大きさは長さ137m、幅23m、高さ14mで、五万トンのタンカーと同じぐらいのものでした。それをノアと三人目息子で造りました。製作期間は約120年、ノアが480才の時に造り始め、600才で完成したそうです。で、この箱舟についてとその後の出来事についてはいつか詳しくお話ししたいと思います。

で、本日はノアの信仰と歩みについてお伝えします。本日の御言葉で「ノアは正しい人で、彼の世代の中にあって全き人であった」とあります。ちなみに、先ほど言ったように、ノアの世代は神様の前に堕落し、暴虐で満ちていました。で、ノアとその家族以外の全ての人がそんな感じですから、ノア達はマジで大変な生活をしていたのだと思います。その大変な時代においてもノアは正しい人、全き人であり、神様と共に歩んだ人でした。ここで、私達が覚えておくべきことは、ノアが単に道徳的に正しく全き歩みをしていたというわけではありません。ノアは神様との関係において正しく全き人であったという事です。


神様を真の神と信じる信仰をノアは持ち、その神様の言葉を聞く姿勢をいつも持っていました。だから、ノアは6章3節の『神はノアに仰せられた。「すべての肉なるものの終わりが、わたしの前に来ようとしている。地は、彼らのゆえに、暴虐で満ちているからだ。見よ、わたしは彼らを地とともに滅ぼし去る」』の言葉を聞いても驚かず、受けとめる事が出来たのです。

もし、いきなり天から声がして、神様が直接語られてきたら、たぶん「えっ?」「何?」「誰?」となってしまうのではないでしょうか。ノアが日頃から神様の声を聞いていたことがわかります。私達も日頃からノアのように、神様の声を聞く習慣を持っていきましょう。神様は聖書を通して今も語っています。そして、聖霊様が悟ることが出来るように働いて下さっています。神様の御言葉を読んで蓄えていく時、生活の様々な時にその教えが私達を正しい方へ愛のある方へ平和な方へ神様の方へ導いて下さいます。

最後の言葉『ノアは神とともに歩んだ』。実はノアがこの暴虐と悪との時代から救い出された理由の一つがこの「神と共に歩んだ」です。ノアはいつも神様の存在を信じ認め、先ほど言ったように神様の言葉に耳を傾け、その御言葉通りに行い、さらにこの神様をほめたたえる礼拝をささげていました。

創世記8章20節『ノアは主のために祭壇を築き、すべてのきよい家畜から、また、すべてのきよい鳥からいくつかを取って、祭壇の上で全焼のささげ物を献げた』。ノアは神様に礼拝をささげていました。このようなノアを神様は救い、守り、助けを与えました。

神様への信仰と神様の言葉に聞き従う事と神様への礼拝を尊ぶことが、神様と共に歩む事です。そして、今私達はイエス様の十字架の贖いにより、罪が赦され、神様への信仰を持つ事が出来、神様の言葉を聞くことが出来、礼拝をささげる事が出来ています。今私達は神様と共に歩んでいます。これからも、神様間と共に歩んで、ノアのように神様の救い、神様の守り、神様の助けを受けていきましょう。ハレルヤ♪

2025年3月9日(日)
モーニングメッセージ 〜不倫について〜

人は火を、そのふところにいだいてその着物が焼かれないであろうか。また人は、熱い火を踏んで、その足が、焼かれないであろうか。その隣の妻と不義を行う者も、それと同じだ。すべて彼女に触れる者は罰を免れることはできない。箴言6章27節〜29節
本日の御言葉は不倫についての教えです。不倫は火をふところに入れるのと同じと教えています。また、熱い火を足で踏むのと同じと教えています。
本日は礼拝です。

2025年3月8日(土)
モーニングメッセージ 〜人生の光〜

戒めはともしびである、教は光である、教訓の懲らしめは命の道である。箴言6章23節
神様の戒めと教えは、私達の人生の光になり、安全と安心を与えて下さいます。
明日は礼拝です。

2025年3月7日(金)
モーニングメッセージ 〜戒めと教えを守る〜

わが子よ、あなたの父の戒めを守り、あなたの母の教を捨てるな。つねに、これをあなたの心に結び、あなたの首のまわりにつけよ。これは、あなたが歩くとき、あなたを導き、あなたが寝るとき、あなたを守り、あなたが目ざめるとき、あなたと語る。箴言6章20節〜22節
伝承されてきた神様の戒めと教えを守り、行っていきましょう。その戒めと教えがあなたの生活を守り支え導いて下さいます。

2025年3月6日(木)
モーニングメッセージ 〜よこしまな人、悪しき人〜

よこしまな人、悪しき人は偽りの言葉をもって行きめぐり、目でめくばせし、足で踏み鳴らし、指で示し、よこしまな心をもって悪を計り、絶えず争いをおこす。それゆえ、災は、にわかに彼に臨み、たちまちにして打ち敗られ、助かることはない。箴言6章12節〜15節
本日は「よこしまな人・悪しき人」についての教えです。よこしまな人・悪しき人は悪を広げます。そして、神様の裁きを受ける事になります。気をつけていきましょう。

2025年3月5日(水)
水曜集会 〜全地をさばく神〜

ハレルヤ♪御名をあがめます。本日は詩篇58篇です。題は「全地をさばく神」です。

1節〜5節は悪者の不正な裁きについて記されています。
『あなたがた力ある者よ、まことにあなたがたは正しい事を語り、公平をもって人の子らをさばくのか。否、あなたがたは心のうちに悪い事をたくらみ、その手は地に暴虐を行う。悪しき者は胎を出た時から、そむき去り、生れ出た時から、あやまちを犯し、偽りを語る。彼らはへびの毒のような毒をもち、魔法使または巧みに呪文を唱える者の声を聞かない耳をふさぐ耳しいのまむしのようである』
ここに「力ある者」とありますが、これは高い地位にある悪しき指導者の事です。実際、どの時代においてもそのような人達がいて、特にイエス様の時代においては、パリサイ人、律法学者達がそのような者でした。

そして、この詩篇を読んだダビデの時代にもそのような者達がいて、暴虐と偽りとそむきと過ちになどの行為が実際に行われていて大変な状況にありました。そして、それをダビデは神様に訴えました。私達もいろいろな実情を神様にそのまんま訴えていきましょう。

6節〜9節は敵の速やかな滅亡の要請が記されています。
『神よ、彼らの口の歯を折ってください。主よ、若いししのきばを抜き砕いてください。彼らを流れゆく水のように消え去らせ、踏み倒される若草のように衰えさせてください。また溶けてどろどろになるかたつむりのように、時ならず生れた日を見ぬ子のようにしてください。あなたがたの釜がまだいばらの熱を感じない前に青いのも、燃えているのも共につむじ風に吹き払われるように彼らを吹き払ってください』
すごい表現がされています。「歯を折って下さい」「水のように消え去らせ」「衰えさせてください」「溶けてどろどろになるかたつむりのように」「吹き払ってください」。ダビデがここまで言うという事は、その敵がいかに悪い存在であるかがわかります。で、私達もこのダビデのように神様に対して正直に自分の思いを伝えるべきです。


10節〜11節は神の裁きについて記されています。
『正しい者は復讐を見て喜び、その足を悪しき者の血で洗うであろう。そして人々は言うであろう、「まことに正しい者には報いがある。まことに地にさばきを行われる神がある」と』
ここでダビデは悪の滅亡も願っていますが、同時に神様の正しさの成立を願っています。先週の礼拝において「神の国と神の義とを求めなさい」という御言葉が伝えられましたが、私達も神様の支配と権威と平和と秩序を求め、神様の正しい事が行われていく事を求めていきましょう。神様の正しさが行われるという事は、悪が退いていくという事です。ハレルヤ♪

2025年3月5日(水)
モーニングメッセージ 〜神様が憎まれるもの〜

主の憎まれるものが六つある、否、その心に、忌みきらわれるものが七つある。すなわち、高ぶる目、偽りを言う舌、罪なき人の血を流す手、悪しき計りごとをめぐらす心、すみやかに悪に走る足、偽りをのべる証人、また兄弟のうちに争いをおこす人がこれである。箴言6章16節〜19節
本日の御言葉は神様が憎まれるものが記されています。これらのものから離れていきましょう。

2025年3月4日(火)
モーニングメッセージ 〜なまけ者その2

なまけ者よ、いつまで寝ているのか、いつ目をさまして起きるのか。しばらく眠り、しばらくまどろみ、手をこまぬいて、またしばらく休む。それゆえ、貧しさは盗びとのようにあなたに来り、乏しさは、つわもののようにあなたに来る。箴言6章9節〜11節
本日もなまけ者についての教えです。なまけ者は、自分のすべきこともせずに寝たり、休んだりして、結局貧しく乏しくなってしまいます。気をつけていきましょう。

2025年3月3日(月)
モーニングメッセージ 〜なまけ者〜

なまけ者よ、ありのところへ行き、そのすることを見て、知恵を得よ。ありは、かしらなく、つかさなく、王もないが、夏のうちに食物をそなえ、刈入れの時に、かてを集める。箴言6章6節〜8節
なまけ者についての教えです。そして、アリに学べと教えています。で、アリはその時々に自分の為すべきことを行い、備えて生きています。私達もそうしていきましょう。

2025年3月2日(日)
礼拝メッセージ 〜運び、背負い、救う神様〜

ヤコブの家よ、わたしに聞け。イスラエルの家のすべての残りの者よ。胎内にいたときから担がれ、生まれる前から運ばれた者よ。あなたがたが年をとっても、わたしは同じようにする。あなたがたが白髪になっても、わたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。わたしは運ぶ。背負って救い出す。イザヤ書46章3節〜4節

〜運び、背負い、救う神様〜

ハレルヤ御名をあがめます。
本日の聖書イザヤ書46章には「バビロンの神と真の神」について記されています。そして、本日の御言葉は、真の神を信じる神の民へのメッセージです。詳しく見ていきましょう。

まず「ヤコブの家よ、わたしに聞け。イスラエルの家のすべての残りの者よ」と神の民への呼びかけがされています。ここに出てくる「ヤコブ」は「アブラハム、イサク、ヤコブの神」のヤコブです。アブラハムの信仰と祝福がイサクに伝承され、イサクの信仰と祝福がヤコブに伝承されました。だから、ここの「ヤコブの家」とは神様への信仰と神様の祝福を伝承してきた者をさしています。実はこの信仰と祝福はヤコブで終わりではなく、ここから12の部族に広がり、そしてイエス様によって全世界に広がっていきました。今、この日本の神奈川県の藤沢氏羽鳥5-4-10にある私達の教会に、私達一人一人に信仰と祝福が伝承されました。今、私達一人一人も神の民として信仰と祝福を受け継ぐ者です。

あと、3節に「生まれる前から運ばれた者よ」とあります。ちなみにバビロンの神は家畜や人によって運ばれなければどうにもならないものでした。しかし、真の神である主は、私達を運んで下さるお方です。そして、今私達一人一人は神様運ばれ導かれこの場にいるのです。

その神の民である私達に神様は「わたしに聞け」と。そして私達が聞くべき約束の言葉が4節に記されています。「あなたがたが年をとっても、わたしは同じようにする」
今年から私もジムに通って体の健康維持をやっていこうと思い、八部プールにあるジムに通う事になりました。一回300円でいろいろな器具を使って運動できるようになりました。で、60歳以上の藤沢市民は割引で240円にしてくれるそうです。私もその手続きもやってきました。で、俺もそんな年になったんだなぁ〜と複雑な思いになりました。
本日の御言葉「あなたがたが年をとっても、わたしは同じようにする」。私が60歳になっても、神様は変わらないという事です。変わらず愛し続けて下さいます。もちろん、私だけではなく、イエス様の救いを受けている神の民であるお一人お一人を、神様は愛し続けて下さいます。私達はこの神様の愛の約束をしっかりと心に受けとめていきましょう。イザヤ書に「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」とあります。この神様の言葉を信じ、しつかりと受けとめていき、神様に愛されている者として生きていきましょう。

次に「あなたがたが白髪になっても、わたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ」。キリスト教において有名な天国へ行った人の話があります。ある人がこの世の人生を終えて天国へ行きました。そして、イエス様と自分のこの世での人生について話をしました。イエス様を信じるまでの人生は足跡が一人分。イエス様を信じてからはイエス様が共に歩いて下さったから二人分の足跡
しかし、その人が一番苦しかった時期の足跡は一人分しかなく、その時期が終わったら、また二人分の足跡に。その人はイエス様に「どうして私が一番苦しかった時に私は一人だったのですか?イエス様はどこへいたのですか?」と。イエス様は「この時、わたしはあなたを背負って歩いたのだよ」と。

神様は「わたしは背負う」と。私達の苦しみも病も痛みも悩みもまとめて背負って下さるお方です。私達自身を背負って歩いてくだいます。だから、この神様に信頼して委ねていきましょう。

最後に「わたしは運ぶ。背負って救い出す」。神様は私達を運んで導いて下さいます。さらに背負って、助け、守り、救い出して下さいます。その為にイエス様の十字架と復活の贖いがあり、魂の救い、心の救い、体の救い、生活の中での様々な救いがあるのです。感謝です。

私達は今イエス様によって神の民です。そして、この神の民である私達に神様は素晴らしい約束をして下さっています。「あなたがたが年をとっても、わたしは同じようにする。あなたがたが白髪になっても、わたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。わたしは運ぶ。背負って救い出す」。神の民として信仰をもって神様と共に生き、歩み、信頼していきましょう。ハレルヤ♪

2025年3月2日(日)
モーニングメッセージ 〜悪しき者とは〜

悪しき者は自分のとがに捕えられ、自分の罪のなわにつながれる。彼は、教訓がないために死に、その愚かさの大きいことによって滅びる。箴言5章22節〜23節
悪しき者とは、真の神を信じず認めない者です。当然、神様からの教訓も受け入れず、愚かな道を歩んでしまい、残念なことになってしまいます。私達はイエス様によって神様の前に正しい者とされ、神様の教訓に生きる者とされています。感謝です。
本日は礼拝です。

2025年3月1日(土)
モーニングメッセージ 〜全てを見ている〜

人の道は主の目の前にあり、主はすべて、その行いを見守られる。箴言5章21節
神様は全てを見ておられます。そして、信じる者を見守って下さいます。
明日は礼拝です。

2025年2月28日(金)
モーニングメッセージ 〜あなたの為に用意された恵み〜

あなたは自分の水ためから水を飲み、自分の井戸から、わき出す水を飲むがよい。あなたの泉を、外にまきちらし、水の流れを、ちまたに流してよかろうか。それを自分だけのものとし、他人を共にあずからせてはならない。箴言5章15節〜17節
本日の御言葉にある「自分の水ため」というのは、神様があなたの為に用意した恵みの事です。今与えられている環境や関係もその一つです。それをしっかり受けとめて、手離さないで、その恵みの中を生きていきましょう。

2025年2月27日(木)
モーニングメッセージ 〜毎日聖書を読む〜

子供らよ、今わたしの言うことを聞け、わたしの口の言葉から、離れ去ってはならない。箴言5章7節
神様の言葉から離れないように、日々聖書を開いて下さい。神様はみなさん一人一人に必要な事を教えて下さいます。

2025年2月26日(水)
水曜集会 〜嘆願と賛美〜

ハレルヤ♪御名をあがめます。本日は詩篇57篇です。題は「嘆願と賛美」です。そして、本日の詩篇もダビデが窮地に陥っている時に読んだものです。

1節『神よ、わたしをあわれんでください。わたしをあわれんでください。わたしの魂はあなたに寄り頼みます。滅びのあらしの過ぎ去るまではあなたの翼の陰をわたしの避け所とします』。神様のあわれみを求める祈りです。ここに2回「あわれんでください」とあります。ダビデがかなりヤバい状況にあったことがわかります。そして、ダビデはあわれみを求めると同時に信仰告白をしています。「寄り頼みます」と「避け所とします」。要は「自分を守って下さるのは神様しかいません」という信仰告白です。私達も同じようにしていきましよう。

2節『わたしはいと高き神に呼ばわります。わたしのためにすべての事をなしとげられる神に呼ばわります』。ここでも信仰告白をしています。「高き神に呼ばわります」と。神様が最も高い存在である事を信じて、その神様に声を上げました。さらに「わたしのためにすべての事をなしとげられる神」と。自分の為に事を行われるお方であると信じて告白しました。私達も同じようにしていきましょう。

3節『神は天から送ってわたしを救い、わたしを踏みつける者をはずかしめられます。すなわち神はそのいつくしみとまこととを送られるのです』神様の救いを信じる告白です。そして、神様がいつくしみとまことを送って下さると告白しています。私達も同じように告白していきましょう。

4節〜6節『わたしは人の子らをむさぼり食らうししの中に横たわっています。彼らの歯はほこ、また矢、彼らの舌は鋭いつるぎです。神よ、みずからを天よりも高くし、みさかえを全地の上にあげてください。彼らはわたしの足を捕えようと網を設けました。わたしの魂はうなだれました。彼らはわたしの前に穴を掘りました。しかし彼らはみずからその中に陥ったのです』。自分の置かれている厳しい現状と敵についての報告が記されています。私達も自分の現状や思いをすべて神様に打ち明けていく事は大切です。

7節『
神よ、わたしの心は定まりました。わたしの心は定まりました。わたしは歌い、かつほめたたえます』
。ダビデは厳しい現状の中で、自分が一番すべきことを見出し、その道を歩む決心をしました。それが神様をほめたたえる道です。私達もいろいろな現状の中でも、キリスト者として最もすべきことは、神様をほめたたえる事です。これによって神様との絆がより強く太くなっていきます。

8節『わが魂よ、さめよ。立琴よ、琴よ、さめよ。わたしはしののめを呼びさまします』。この御言葉は自分自身への励ましの言葉です。「魂よ目覚めよ」「神様をほめたたえる賛美の声を上げよ」。私達も自分自身に呼びかけていきましょう。そして、ここに「しののめを呼びさまします」とあります。これは夜明けの光のことで、神様による救いの光を見ていこうという事です。

9節『主よ、わたしはもろもろの民の中であなたに感謝し、もろもろの国の中であなたをほめたたえます』。ダビデは神様の救いを先取りして、賛美と感謝をささげました。

10節『あなたのいつくしみは大きく、天にまで及び、あなたのまことは雲にまで及びます』神様のいつくしみ(愛と恵み)が果てしなく大きい事を宣言しました。神様は私達にもいつくしみ(愛と恵み)を送って下さいます。

11節『神よ、みずからを天よりも高くし、みさかえを全地の上にあげてください』。神様が全てのものの上におられる事を表している祈りです。

私達もの人生においていろいろな事があります。その全ての時に神様は私達の神であり、最も高く存在し、私達の為に事を成し遂げて下さるお方です。信じてお頼りしていきましょう。ハレルヤ

2025年2月26日(水)
モーニングメッセージ 〜神様の知恵、悟り〜

わが子よ、わたしの知恵に心をとめ、わたしの悟りに耳をかたむけよ。これは、あなたが慎みを守り、あなたのくちびるに知識を保つためである。箴言5章1節〜2節
神様の知恵、神様の悟りに耳を傾けていきましょう。それが私達を守って下さいます。

2025年2月25日(火)
モーニングメッセージ 〜安全な道〜

あなたの足の道に気をつけよ、そうすれば、あなたのすべての道は安全である。右にも左にも迷い出てはならない、あなたの足を悪から離れさせよ。箴言4章26節〜27節
悪から離れて、神様の教え示して下さる安全な道を歩んでいきましょう。

2025年2月24日(祝・月)
モーニングメッセージ 〜人を潤す命の泉〜

油断することなく、あなたの心を守れ、命の泉は、これから流れ出るからである。箴言4章23節
私達の心から人を潤す命の泉が流れ出ます。だから、心を守って生きましょう。

2025年2月23日(日)
礼拝メッセージ 〜神の国、御国〜

まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて、それに加えて与えられます。ですから、明日のことまで心配しなくてよいのです。明日のことは明日が心配します。苦労はその日その日に十分あります。マタイの福音書6章33節〜34節

〜神の国、御国〜

ハレルヤ御名をあがめます。
新約聖書に「神の国」という言葉が69回出てきます。そして、同じような意味の「御国」という言葉は64回出てきます。そして、神の国・御国というのは、天国を現わしているところもありますが、他にもいろいろあります。本日は神の国・御国について共に教えられていきましょう。

まず、神の国・御国は神様のご支配があるところを意味しています。主の祈りの中に「御国が来ますように」とありますが、私達は神様のご支配が教会に家庭に一人一人の環境や関係に豊かに臨むことを求めていきましょう。
もし神様のご支配ではなく、人の支配や悪魔の支配では、いろいろ大変なことになってしまいます。神様のご支配を常に求めていきましょう。

次に神の国・御国というのは神様の権威があるところを意味します。ちなみに「権威」という言葉は、聖書全体で85回出てきます。マタイの福音書8章に百人隊長のしもべの癒しの記事が載っています。百人隊長はイエス様のもとへ行き、自分のしもべの病の癒しを求めました。イエス様が「では行って治そう」と。しかし、その百人隊長はこう言いました。「主よ、あなた様を私の屋根の下にお入れする資格は、私にはありません。ただ、おことばを下さい。そうすれば私のしもべは癒やされます。と申しますのは、私も権威の下にある者だからです。私自身の下にも兵士たちがいて、その一人に『行け』と言えば行きますし、別の者に『来い』と言えば来ます。また、しもべに『これをしろ』と言えば、そのようにします」と。この百人隊長はイエス様が最も上の権威をお持ちのお方である事を信じ、また、そのイエス様のお言葉に権威がある事を信じ認めて、お言葉を求めました。
その後、イエス様はこの百人隊長の信仰をほめ、「行きなさい。あなたの信じたとおりになるように」と。そして、そのしもべは癒されました。イエス様の権威、神様の権威を私達も信じ認め、そして求めていきましょう。神様の御業が現れます。

次に神の国・御国は神様の平和があるところを意味します。この「平和」という言葉の数も調べました。聖書全体で108回です。皆さんも平和のつく御言葉をいろいろご存じだと思いますが、本日はコロサイ人への手紙1章20節「その十字架の血によって平和をもたらし、御子によって、御子のために万物を和解させること、すなわち、地にあるものも天にあるものも、御子によって和解させることを良しとしてくださったからです」。この御言葉はイエス様の十字架の贖いによって、神様との平和が築き上げられ、和解が成立している事を表しています。今、私達は神様との平和の中にいる事を感謝し、さらにひれからも神様との平和を求め続けていきましょう。

最後に神の国・御国の意味するものが、神様の秩序があるところです。この「秩序」という言葉は聖書の中に5回出てきます。で、この秩序の反対の言葉はいろいろありますが、その一つが「混沌」です。そして、この「混沌」という言葉が中国語の聖書の創世記1章2節にあります。「地是空虚混沌淵面黒暗」。そそして、その混沌に神様が「光あれ」と声を発し、光と闇が分けられ、昼と夜ができ、そこから神様の創造の業が続けられ、この地球に「秩序」が生まれました。
さらに、神様はイエス様という「世の光」「真の光」を送って下さり、神様と人との間にも、人と人との間にも秩序を造って下さいました。私達も神様の秩序を求めていきましよう。

本日の御言葉「まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて、それに加えて与えられます。ですから、明日のことまで心配しなくてよいのです。明日のことは明日が心配します。苦労はその日その日に十分あります」。私達は神の国・御国を求めていきましょう。そして、神様はそれに加えて、私達一人一人の必要を満たし、心配なく生きていけるようにして下さいます。ハレルヤ♪

2025年2月23日(日)
モーニングメッセージ 〜神様と共に生きる道〜

わが子よ、わたしの言葉に心をとめ、わたしの語ることに耳を傾けよ。それを、あなたの目から離さず、あなたの心のうちに守れ。それは、これを得る者の命であり、またその全身を健やかにするからである。
箴言4章20節〜22節

神様の言葉(教え)は、神様と共に生きる道筋を示し、さらに健やかに生きる事が出来ます。感謝です。
本日は礼拝です。

2025年2月22日(土)
モーニングメッセージ 〜悪しき者の道〜

悪しき人の道は暗やみのようだ、彼らは何につまずくかを知らない。箴言4章19節
悪しき者とは神様を信じず認めず、神様に対しての恐れを持たない者です。そして、その悪しき者は暗闇の中を歩み、残念な歩みをしてしまいます。気をつけていきましょう。
明日は礼拝です。

2025年2月21日(金)
モーニングメッセージ 〜キリストの光〜

正しい者の道は、夜明けの光のようだ、いよいよ輝きを増して真昼となる。箴言4章18節
イエス様を救い主と信じる者は、神様の前に正しい者とされ、キリストの光を放って生きる事が出来ます。

2025年2月20日(木)
モーニングメッセージ 〜教訓を守る〜

教訓をかたくとらえて、離してはならない、それを守れ、それはあなたの命である。箴言4章13節
神様の教訓を守る事により、神様と共に生きる命が与えられ、神様の守りと恵みのある歩みをする事が出来ます。

2025年2月19日(水)
水曜集会 〜苦難における神への信頼〜

ハレルヤ♪御名をあがめます。本日は詩篇56篇です。題は「苦難における神への信頼」です。

1節〜4節は苦難の描写と信仰の表明が記されています。

『神よ、どうかわたしをあわれんでください。人々がわたしを踏みつけ、あだする人々がひねもすわたしをしえたげます。わたしの敵はひねもすわたしを踏みつけ、誇りたかぶって、わたしと戦う者が多いのです。わたしが恐れるときは、あなたに寄り頼みます。わたしは神によって、そのみ言葉をほめたたえます。わたしは神に信頼するゆえ、恐れることはありません。肉なる者はわたしに何をなし得ましょうか』
ダビデは神様に「あわれんでください」と祈り求めました。神様のあわれみを求める祈りは大切です。私達もしていきましょう。そして、ダビデは、神様に寄り頼むことを表明し、また神様の言葉をほめたたえる事を表明しました。私達も同じようにしていきましょう。


5節〜7節は敵への報復を求める嘆願が記されています。
『彼らはひねもすわたしの事を妨害し、その思いはことごとくわたしにわざわいします。彼らは共に集まって身をひそめ、わたしの歩みに目をとめ、わたしのいのちをうかがい求めます。神よ、彼らにその罪を報い、憤りをもってもろもろの民を倒してください』

8節〜11節は確信の表明です。
『あなたはわたしのさすらいを数えられました。わたしの涙をあなたの皮袋にたくわえてください。これは皆あなたの書にしるされているではありませんか。わたしが呼び求める日に、わたしの敵は退きます。これによって神がわたしを守られることを知ります。わたしは神によってそのみ言葉をほめたたえ、主によってそのみ言葉をほめたたえます。わたしは神に信頼するゆえ、恐れることはありません。人はわたしに何をなし得ましょうか』
神様が自分が苦しい事をご存じでいることを言い表し、また神様が守って下さる事を宣言しています。さらに、神様に信頼することにより、恐れから解放される事も言い表しています。


12節『神よ、わたしがあなたに立てた誓いは果さなければなりません。わたしは感謝の供え物をあなたにささげます』。ダビデは神様への感謝を表しました。

13節『あなたはわたしの魂を死から救い、わたしの足を守って倒れることなく、いのちの光のうちで神の前にわたしを歩ませられたからです』。神様はこの御言葉のように、ダビデを死のような苦しい状態から救い、その歩みを守り、光をもって導きました。今、神様は私達にも同じようにして下さいます。

私達は天国へ行くまで、いろいろむあるかも知れません。しかし、神様は今生きて働いておられ、私達一人一人に関わり、救いと守りを与えて下さいます。信じて期待していきましょう。ハレルヤ♪

2025年2月19日(水)
モーニングメッセージ 〜知恵の道、正しい道筋〜

わたしは知恵の道をあなたに教え、正しい道筋にあなたを導いた。箴言4章11節
知恵の道、正しい道筋を歩む事により、平和と安全が広がります。神様の言葉に耳を傾けていきましょう。

2025年2月18日(火)
モーニングメッセージ 〜主の言葉を聞き入れる〜

わが子よ、聞け、わたしの言葉をうけいれよ、そうすれば、あなたの命の年は多くなる。箴言4章10節
神様の言葉を聞き、受け入れ、神様と共に生きる命を大切にしていきましょう。

2025年2月17日(月)
モーニングメッセージ 〜尊い存在〜

知恵の初めはこれである、知恵を得よ、あなたが何を得るにしても、悟りを得よ。それを尊べ、そうすれば、それはあなたを高くあげる、もしそれをいだくならば、それはあなたを尊くする。それはあなたの頭に麗しい飾りを置き、栄えの冠をあなたに与える」。箴言4章7節〜9節
神様の知恵は私達一人一人が尊い存在である事を教え、また高く引き上げ、神様の栄光を現わす存在として下さいます。

2025年2月16日(日)
礼拝メッセージ 〜神様の約束〜

あなたのあがない主、イスラエルの聖者、主はこう言われる、「わたしはあなたの神、主である。わたしは、あなたの利益のために、あなたを教え、あなたを導いて、その行くべき道に行かせる。どうか、あなたはわたしの戒めに聞き従うように。そうすれば、あなたの平安は川のように、あなたの義は海の波のようになり、あなたのすえは砂のように、あなたの子孫は砂粒のようになって、その名はわが前から断たれることなく、滅ぼされることはない」。イザヤ書48章17節〜19節

〜神様の約束〜

ハレルヤ御名をあがめます。
本日の御言葉は何年も前に行われたサマーキャンプの主題の御言葉でした。その時から、この御言葉を私は毎日の祈りの中で宣言して、神様の約束を期待して、神様の恵みの成就を信仰をもって待ち望んでいます。では、その神様の約束を詳しく見ていきましょう。

17節『あなたのあがない主、イスラエルの聖者、主はこう言われる』。まず、私達の神様は「あがない主」「聖者」「主」です。そして、その贖いの業をイエス様を通して実際に行って下さいました。
その神様が『わたしはあなたの神、主である』と。この神様が私達の神であり、私達は今神の子とされています。私達も神様の『わたしはあなたの神、主である』の言葉に対して「我が神、主よ」と信仰をもって呼びかけ、神様との関係をより強く太くしていきましょう。

次に神様は『わたしは、あなたの利益のために、あなたを教え、あなたを導いて、その行くべき道に行かせる』と。私は聖書の中に「利益」とか「恵み」とか出てくると、なんか嬉しくなってすぐに御言葉ノートに書きます。ちなみに、御言葉を読んで、それを字に書くとより一層深く教えられます。ぜひノートを作ってやってみて下さい。御言葉に戻ります。神様は私達の利益の為に教えて下さいます。「利益」と聞くと、儲かるとか収入が増えると考えてしまいますが、それだけではなく、神様は私達の信仰生活、教会生活、社会生活、家庭生活の全ての面で、私達の利益の為に教えて下さいます。そして、その一つの教えが「互いに愛し合いなさい」です。愛し合う事とによって、平和と言う利益と安心と言う利益と喜びと言う利益を得る事が出来ます。さらに、その関係が整えられて、助け合ったり、支え合ったり、祈り合ったりすることが出来、良い実を結んで、様々な利益が生まれます。

次の御言葉にいきます。『あなたを導いて、その行くべき道に行かせる』。神様は私達を導いて、私達がキリスト者として行くべき道を行かせて下さいます。キリスト者として行くべき道とは、神様をほめたたえる礼拝の道、神様を信じ続ける信仰の道、神様が教え示している愛の道、そして、神様の福音を伝える伝道の道です。神様は私達一人一人をキリスト者としてこれらの道に導いて行かせて下さいます。

次の御言葉18節『どうか、あなたはわたしの戒めに聞き従うように』。これは神様の私達への求めの言葉です。神様は、私達が神様の戒めに聞き従う事を願っています。なぜなら、神様の戒めは私達の人生の歩みにおいて、幸いに直結するからです。さらに神様の戒めに聞き従う時の恵みが次の御言葉に記されています。
『そうすれば、あなたの平安は川のように』。私達が幸せに生きるのに「平安」は欠かすことのできないものです。その平安が川のようにず〜と続くという約束です。さらに『あなたの義は海の波のように』海の波も繰り返しず〜と続くことを表しています。今、私達はイエス様の十字架の贖いにより、神様の前に義とされ、その義がず〜と続いて、義人として神様との関わりの中を生きる事が出来ます。

19節『あなたのすえは砂のように、あなたの子孫は砂粒のようになって、その名はわが前から断たれることなく、滅ぼされることはない』。これはキリスト者が福音の伝承がなされていくというものです。そして、さらに神様は私達の名を断つことなく、一人一人を覚えて、心をかけて下さるという事です。

私達の神様は『わたしはあなたの神、主である』と宣言し、さらに『わたしは、あなたの利益のために、あなたを教え、あなたを導いて、その行くべき道に行かせる。どうか、あなたはわたしの戒めに聞き従うように。そうすれば、あなたの平安は川のように、あなたの義は海の波のようになり、あなたのすえは砂のように、あなたの子孫は砂粒のようになって、その名はわが前から断たれることなく、滅ぼされることはない』と宣言して下さっています。信じて、そのまんま神様の約束を受けとめていきましょう。ハレルヤ♪

2025年2月16日(日)
モーニングメッセージ 〜神様の知恵は私たちを守る〜

知恵を捨てるな、それはあなたを守る。それを愛せよ、それはあなたを保つ。箴言4章6節
神様の知恵は、私達を守って下さり、さらに神様と共に生きるその歩みを保って下さいます。
本日は礼拝です。

2025年2月15日(土)
モーニングメッセージ 〜知恵と悟りを得る〜

父はわたしを教えて言った、「わたしの言葉を、心に留め、わたしの戒めを守って、命を得よ。それを忘れることなく、またわが口の言葉にそむいてはならない、知恵を得よ、悟りを得よ。箴言4章4節〜5節
父なる神様の教えに耳を傾けていきましょう。そして、キリストの命に生き、神様からの知恵と悟りを得て、幸いな道を歩んでいきましょう。
明日は礼拝です。

2025年2月14日(金)
モーニングメッセージ 〜主の教えに耳を傾ける〜

子供らよ、父の教を聞き、悟りを得るために耳を傾けよ。わたしは、良い教訓を、あなたがたにさずける。わたしの教を捨ててはならない。箴言4章1節〜2節
父なる神様の教えに耳を傾けていきましょう。そして、正しく安全に生きる悟りを得ていきましょう。

2025年2月13日(木)
モーニングメッセージ 〜正しい関係〜

主の、のろいは悪しき者の家にある、しかし、正しい人のすまいは主に恵まれる。彼はあざける者をあざけり、へりくだる者に恵みを与えられる。箴言3章33節〜34節
神様と正しい関係にある者は恵みを得る事が出来ます。神様の前に謙っていく者は恵みを得る事が出来ます。

2025年2月12日(水)
水曜集会 〜苦難の中の祈り〜

ハレルヤ♪御名をあがめます。本日は詩篇55篇です。題は「苦難の中の祈り」です。

1節『神よ、わたしの祈に耳を傾けてください。わたしの願いを避けて身を隠さないでください』。ここに『わたしの願いを避けて身を隠さないでください』とありますが、神様が私達から身を隠すことはありません。この時、ダビデは苦しい状況に陥り、神様が遠くにいるように感じました。

2節〜5節『わたしにみこころをとめ、わたしに答えてください。わたしは悩みによって弱りはて、敵の声と、悪しき者のしえたげとによって気が狂いそうです。彼らはわたしに悩みを臨ませ、怒ってわたしを苦しめるからです。わたしの心はわがうちにもだえ苦しみ、死の恐れがわたしの上に落ちました。恐れとおののきがわたしに臨み、はなはだしい恐れがわたしをおおいました』。ダビデがかなり厳しい状況に置かれていたことがわかります。

6節〜7節『わたしは言います、「どうか、はとのように翼をもちたいものだ。そうすればわたしは飛び去って安きを得るであろう。わたしは遠くのがれ去って、野に宿ろう』。厳しい状況の中でダビデは逃げていきたいと思いました。私達も時としてそのような状態になる事があるかも知れません。で、そんな時は、私達もダビデのように自分の思いを全て神様に祈って訴えていきましょう。

8節〜15節『わたしは急ぎ避難して、はやてとあらしをのがれよう」と。主よ、彼らのはかりごとを打ち破ってください。彼らの舌を混乱させてください。わたしは町のうちに暴力と争いとを見るからです。彼らは昼も夜も町の城壁の上を歩きめぐり、町のうちには害悪と悩みとがあります。また滅ぼす事が町のうちにあり、しえたげと欺きとはその市場を離れることがありません。わたしをののしる者は敵ではありません。もしそうであるならば忍ぶことができます。わたしにむかって高ぶる者はあだではありません。もしそうであるならば身を隠して彼を避けることができます。しかしそれはあなたです、わたしと同じ者、わたしの同僚、わたしの親しい友です。われらはたがいに楽しく語らい、つれだって神の宮に上りました。どうぞ、死を彼らに臨ませ、生きたままで陰府に下らせ、恐れをもって彼らを墓に去らせてください』。混乱した社会の描写と敵への怒りが記されています。私達も現状や自分の気持ちや思いを神様にそのまま訴えていきましょう。

16節〜18節『しかしわたしが神に呼ばわれば、主はわたしを救われます。夕べに、あしたに、真昼にわたしが嘆きうめけば、主はわたしの声を聞かれます。たといわたしを攻める者が多くとも、主はわたしがたたかう戦いからわたしを安らかに救い出されます』。これらは信仰告白です。そして、神様はダビデの信仰告白のように事を行って下さいました。私達も同じように信仰告白をして、神様の御業を見ていきましょう。

19節〜21節『昔からみくらに座しておられる神は聞いて彼らを悩まされるでしょう。彼らはおきてを守らず、神を恐れないからです。わたしの友はその親しき者に手を伸ばして、その契約を破った。その口は牛酪よりもなめらかだが、その心には戦いがある。その言葉は油よりもやわらかだが、それは抜いたつるぎである』。これらは敵の姿について記されています。

22節〜23節『あなたの荷を主にゆだねよ。主はあなたをささえられる。主は正しい人の動かされるのを決してゆるされない。しかし主よ、あなたは彼らを滅びの穴に投げ入れられます。血を流す者と欺く者とはおのが日の半ばも生きながらえることはできません。しかしわたしはあなたに寄り頼みます』。信仰の確認が記されています。そして、ここには大切な真理が記されています。神様に自分の抱えている重荷を委ねていく時、神様が支えて下さるという真理です。委ねていきましょう。


私達はその人生においていろいろな時があります。そして、いろいろな思いになります。その全てを神様に打ち明けて、神様に呼ばわり、神様の救いを得ていきましょう。また、神様に委ねて、神様が支えて下さる事を信じていきましょう。ハレルヤ♪

2025年2月12日(水)
モーニングメッセージ 〜正しく生きる〜

暴虐な人を、うらやんではならない、そのすべての道を選んではならない。よこしまな者は主に憎まれるからである、しかし、正しい者は主に信任される。箴言3章31節〜32節
暴虐な人、よこしまな人は神様から憎まれ、裁きを受ける事になります。だから、私達は神様にあって正しく生きていきましょう。

2025年2月11日(祝・火)
モーニングメッセージ 〜悪や争いをなくす〜

あなたの隣り人がかたわらに安らかに住んでいる時、これに向かって、悪を計ってはならない。もし人があなたに悪を行ったのでなければ、ゆえなく、これと争ってはならない。箴言3章29節〜30節
あなたの隣人や関わる人達に対して、悪を計ったり、争いを起こしたりしないようにしましょう。神様は善と平和を求めています。

2025年2月10日(月)
モーニングメッセージ 〜善を行う力〜

あなたの手に善をなす力があるならば、これをなすべき人になすことをさし控えてはならない。箴言3章27節
本日の御言葉のように、善をなす力を差し控えることなく、用いていきましょう。

2025年2月9日(日)
礼拝メッセージ 〜神様のしもべ〜

天を創造し、これを延べ広げ、地とその産物を押し広げ、その上にいる民に息を与え、そこを歩む者たちに霊を授けた神なる主はこう言われる。「わたし、主は、義をもってあなたを召し、あなたの手を握る。あなたを見守り、あなたを民の契約として、国々の光とする。イザヤ書42章5節〜6節

〜神様のしもべ〜

ハレルヤ御名をあがめますか。
本日の御言葉には、神様のしもべに対しての約束が記されています。その前に、私達の信じる神様がいかなるお方であるかが記されています。まずはそれを見ていきましょう。

「天を創造し、これを延べ広げ」。この地球の歴史は神様から始まったことを私達はしっかりと心にとめていくべきです。そして、この神様によって今もこの地球が保たれている事を覚えて、神様と共に生きる事を心がけていくべきです。

「地とその産物を押し広げ」。神様は人が生きる為の必要を備えて下さるお方です。
「その上にいる民に息を与え、そこを歩む者たちに霊を授けた神なる主」。神様は命を与え、神様と共に生きる霊を授けて下さいました。そして、今私達は聖霊様により、神様と共に生きる道を歩ませてもらっています。
この素晴らしい神様が直接語って下さった約束が本日の御言葉です。「わたし、主は」。神様は主人であり、最も上に存在するお方です。私達もその真理をしっかりと心にとめていきましょう。

「義をもってあなたを召し」。実際、イエス様の十字架と復活の贖いにより、私達の罪を赦し、義として下さり、キリスト者として召して下さいました。だから、今私達は教会において礼拝をささげ、心も体も神様に向かう時を持ち、神様のご臨在に触れ、癒され、きよめられ、解放され、恵みにあずかることが出来るのです。感謝です。

「あなたの手を握る」。今年のお正月に妻の実家に行かせていただき、夜みんなで近くのコンビニに行きました。その時、孫を中心にみんなで手をつなぐことになり、私は妻と手をつなぎました。ちょっとドキドキしました。で、この御言葉のように、神様は私達一人一人の手を握って下さいます。これは私達をドキドキさせることではなく、最も近くにいて、助け支えて下さる事を表しています。詩篇46篇1節に「神はわれらの避け所また力である。悩める時のいと近き助けである」と記されています。神様はいと近き助けです。私達はこの神様にお頼りしていきましょう。

次に「あなたを見守り」。歴代誌第二16章9節に「主はその御目をもって全地を隅々まで見渡し、その心がご自分と全く一つになっている人々に御力を現してくださるのです」とあります。私達の神様は全地を見渡しておられます。そして、御力を現わして下さいます。その御力によって、私達を様々な悪しきものから守って下さいます。私達は神様にいつも見守られています。感謝です。

最後に「あなたを民の契約として、国々の光とする」。私達はイエス様を自分の救い主として信じる事により、神の民とされました。そして、神の民として、神様は私達を国々の光として下さいました。イエス様も私達に対して「あなたがたは世の光である」と語っています。私達は今キリストの光、福音の光を放つ国々の光、世の光とされています。そして、その光によって、その置かれている環境や関係に善意と正義と真実との実を結ばせる事が出来ます。エペソ人への手紙5章9節「光はあらゆる善意と正義と真実との実を結ばせるものである」。私達は神様の良いものを広げる事が出来る国々の光、世の光です。

神様は、しもべである私達に「わたし、主は、義をもってあなたを召し、あなたの手を握る。あなたを見守り、あなたを民の契約として、国々の光とする」と約束して下さっています。私達は神様のしもべとして、この約束を信じて、信仰をもって受け止め、教会において、家庭において、今置かれている所において、国々の光として生きていきましょう。ハレルヤ♪

2025年2月9日(日)
モーニングメッセージ 〜確かな知恵と慎み〜

わが子よ、確かな知恵と、慎みとを守って、それをあなたの目から離してはならない。それはあなたの魂の命となりあなたの首の飾りとなる。こうして、あなたは安らかに自分の道を行き、あなたの足はつまずくことがない。箴言3章21節〜23節
神様の知恵を受けていきましょう。また、神様の前に謙って慎みをもって生きていきましょう。安全に歩みをする事が出来ます。
本日は礼拝です。

2025年2月8日(土)
モーニングメッセージ 〜知恵を受けとめる〜

知恵は、これを捕える者には命の木である、これをしっかり捕える人はさいわいである。箴言3章18節
神様からの知恵をしっかりと受けとめていきましょう。そして、幸いを得て下さい。その為に、まず聖書を開いて読んで下さい。
明日は礼拝です。

2025年2月7日(金)
モーニングメッセージ 〜尊い知恵〜

知恵は宝石よりも尊く、あなたの望む何物も、これと比べるに足りない。その右の手には長寿があり、左の手には富と、誉がある。その道は楽しい道であり、その道筋はみな平安である。箴言3章15節〜16節
神様からの知恵によって、長寿、富、誉を得る事が出来、楽しさと平安のある歩みをする事が出来ます。

2025年2月6日(木)
モーニングメッセージ 〜神様からの知恵〜

知恵を求めて得る人、悟りを得る人はさいわいである。知恵によって得るものは、銀によって得るものにまさり、その利益は精金よりも良いからである。箴言3章13節〜14節
人が生きていく上において、知恵は大切です。特に神様からの知恵が人を真の幸せに導きます。

2025年2月5日(水)
水曜集会 〜助けを求める祈り〜

ハレルヤ♪御名をあがめます。本日は詩篇54篇です。題は「助けを求める祈り」です。

本日の詩篇はダビデがサウル王から命を狙われていて、国中に「ダビデを見つけたら報告するように」との命令をだして、実際、それをされてしまい、ピンチに立たされた時に読んだものです。そして、ダビデは神様に助けを求める祈りをしました。

1節『神よ、み名によってわたしを救い、み力によってわたしをさばいてください。』。ここに『名によってわたしを救い』とあります。ダビデは神様の御名には救う力がある事を信じて求めました。ちなみに、神様の御名が聖書にいろいろ記されています。「癒し主」「きよめ主」「平安」「勝利者」「備え主」など。私達も神様の御名を信じて、祈り求めていきましょう。
この後、力によってわたしをさばいてください」とありますが、新改訳聖書では「わたしを弁護して下さい」と。神様の守りを求める祈りです。

2節『神よ、わたしの祈をきき、わが口の言葉に耳を傾けてください』。神様への強い思いの現れです。私達も「主よ聞いて下さい」という強い思いを持っていきましょう。

3節『高ぶる者がわたしに逆らって起り、あらぶる者がわたしのいのちを求めています。彼らは神をおのが前に置くことをしません』。敵に対しての言及です。自分の現状を神様に言い表すことは大切です。

4節『見よ、神はわが助けぬし、主はわがいのちを守られるかたです』。信仰告白です。神様が自分の助け主、守られるお方と私達も信じ、告白していきましょう。

5節『神はわたしのあだに災をもって報いられるでしょう。あなたのまことをもって彼らを滅ぼしてください』神様が実際に事を行われるお方であると信じ告白しています。私達もしていきましょう。

6節『わたしは喜んであなたにいけにえをささげます。主よ、わたしはみ名に感謝します。これはよい事だからです』。ダビデは神様に喜んで礼拝をささげる宣言をしました。そして、それが自分にとっても神様にとっても良い事だと宣言しました。実際、礼拝は神様にとっても私達にとっても良い事です。力を尽くしていきましょう。

7節『あなたはすべての悩みからわたしを救い、わたしの目に敵の敗北を見させられたからです』神様の救いを信じて宣言しました。たぶん、この時点ではまだ解決していなかったと思います。それでも信じて期待して宣言しました。で、結局、ダビデの願うとおりに、神様は悩みから救い、敵の敗北を見せて下さいました。

私達の神様は今も生きて働いておられます。そして、イエス様の十字架の贖いによって、神様は私達の神であり、関わり続けて下さいます。私達も救いと助けを祈り求め、神様の救いと助けを受け、また神様の勝利を見ていきましょう。ハレルヤ♪

2025年2月5日(水)
モーニングメッセージ 〜神の子として〜

わが子よ、主の懲らしめを軽んじてはならない、その戒めをきらってはならない。主は、愛する者を、戒められるからである、あたかも父がその愛する子を戒めるように。箴言3章11節〜12節
神様は私達一人一人に関心を持ち、私達を愛する子どもとして、戒め、教え、訓練されます。私達も神の子として、父なる神様との関わりを大切にしていきましょう。

2025年2月4日(火)
モーニングメッセージ 〜悪を離れ神様の知恵を求める〜

自分を見て賢いと思ってはならない、主を恐れて、悪を離れよ。そうすれば、あなたの身を健やかにし、あなたの骨に元気を与える。箴言3章7節〜8節
いつでも神様の知恵を求めていきましょう。そして、神様を礼拝し、悪から離れていきましょう。そうすれば、心も体も健やかに歩む事が出来ます。

2025年2月3日(月)
モーニングメッセージ 〜生活の全てにおいて〜

すべての道で主を認めよ、そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。箴言3章6節
本日の御言葉の「すべての道で主を認めよ」とは、生活の全てにおいて、神様が共にいて下さる事を信じ、お頼りしていく事です。神様は私達の歩みを確かなものにして下さいます。

2025年2月2日(日)
礼拝メッセージ 〜待ち望む〜

それゆえ主は、あなたがたに恵みを与えようとして待ち、それゆえ、あわれみを与えようと立ち上がられる。主が義の神であるからだ。幸いなことよ、主を待ち望むすべての者は。イザヤ書30章18節

〜待ち望む〜

ハレルヤ御名をあがめます。
本日の御言葉のちょっと前に、神様が直接語られている言葉が記されています。30章15節『イスラエルの聖なる方、神である主はこう言われた。「立ち返って落ち着いていれば、あなたがたは救われ、静かにして信頼すれば、あなたがたは力を得る。しかし、あなたがたはこれを望まなかった」』。神様の素晴らしい約束の言葉です。救いと力が与えられる方法を教えています。それが神様に立ち返る事と、神様に信頼する事です。それにより救いと力を得るという事です。しかし、この御言葉の最後に『しかし、あなたがたはこれを望まなかった』と。イスラエルの民は神様に立ち返って、落ち着くことが出来なかった。静かにしている事が出来なかった。

そして、30章16節に『あなたがたは言った。「いや、私たちは馬で逃げよう」と。そう言うなら、あなたがたは逃げてみよ。また、「私たちは早馬で」と言った。そう言うなら、あなたがたの追っ手はなお速い』。イスラエルの民は神様ではなく、人間の力を用いて救いや力を得ようと考えました。特にエジプトに助けを求めました。ちなみに、エジプトの助けを受ける事により、エジプトの偶像が入り込んできて、イスラエルの民と神様との関係が崩れてしまいました。で、そんなイスラエルの民にも、なお、神様が成そうとして下さる約束が本日の御言葉です。

実は、私達はこの信仰生活、教会生活においていろいろな時、いろいろな状態の時があります。信仰と愛とに生き、神様の恵みを感謝して元気に進める時もあれば、体調も悪く、心に元気ややる気もなくなって、口から出るのは不平不満。さらに誰かと比較して劣等感を持ち、いろいろな事に否定的、消極的になってしまう。私はよくあります。
そんな時によくメールが届きます。吉田牧師の娘さんの旦那さんとFacebookでつながっていて、「高梨先生、こんばんは、お元気ですか?引き続きお祈りしています」と。もしかしたら、神様に「高梨先生は今ヤバいから、メールしてあげろ」と言われているのかも(笑)。

私だけでなく、みなさんもいろいろな時があると思います。そして、いろいろな悩みや問題の解決を人間的な思いや考えで何とかしようとしたり、早く解決しようと、先走ってしまう事もあるのではないでしょうか。
しかし、そんな私達にも神様は臨んで関わって下さいます。本日の御言葉『それゆえ主は、あなたがたに恵みを与えようとして待ち』。神様は私達に恵みを与えようとして下さっています。さらに『 それゆえ、あわれみを与えようと立ち上がられる 』。神様は私達をあわれもうと立ち上がっておられます。神様の恵み、神様のあわれみが、私達ま抱えている悩みや問題、病や苦しみに真の解決(救い)を与えて下さいます。

だから、私達は本日の御言葉の最後にあるように神様を待ち望んでいきましょう。『幸いなことよ、主を待ち望むすべての者は』。神様を待ち望むとは、信仰と忍耐をもって神様の為される事に期待していく事です。そして、神様を待ち望む事はキリスト者にとって幸いな事です。
私達は天国に行くまでいろいろな時があり、いろいろな状況に置かれます。しかし、私達の神様はいつまでも変わらないお方で、変わることなくイエス様を通して私達を愛し続けて下さいます。そして、恵みを与えようと待ち、あわれみを与えようと立ち上がられるお方です。この神様を待ち望んで幸いを得ていきましょう。ハレルヤ

2025年2月2日(日)
モーニングメッセージ 〜神様を信頼する〜

心をつくして主に信頼せよ、自分の知識にたよってはならない。箴言3章5節
神様に信頼していきましょう。自分の知識や経験に頼るのではなく、信仰をもって神様にお頼りしていきましょう。
本日は礼拝です。

2025年2月1日(土)
モーニングメッセージ 〜愛と真実を持つ〜

いつくしみと、まこととを捨ててはならない、それをあなたの首に結び、心の碑にしるせ。そうすれば、あなたは神と人との前に恵みと、誉とを得る。箴言3章3節〜4節
愛と真実を持って生きましょう。神様の前にも人の前にも恵みと誉れを受ける事が出来ます。
明日は礼拝です。

2025年1月31日(金)
モーニングメッセージ 〜教え戒めを心にとめる〜

わが子よ、わたしの教を忘れず、わたしの戒めを心にとめよ。そうすれば、これはあなたの日を長くし、命の年を延べ、あなたに平安を増し加える。箴言3章1節〜2節
神様の教え、戒めを心にとめて生きていきましょうう。神様は平安を与えて下さいます。

2025年1月30日(木)
モーニングメッセージ 〜正しさと誠実〜

正しい人は地にながらえ、誠実な人は地にとどまる。箴言2章21節
正しさと誠実を持っていきましょう。おかれた環境において、安心して生きる事が出来ます。

2025年1月29日(水)
水曜集会 〜回復を求める祈り〜

ハレルヤ♪御名をあがめます。本日は詩篇53篇です。

1節『愚かな者は心のうちに「神はない」と言う。彼らは腐れはて、憎むべき不義をおこなった。善を行う者はない』。愚かな者は、神様の存在を認めず信じません。そして、自分を神のように思い、自分の判断、自分の基準で考え、行動してしまいます。そして、不義を行い、全を行う事をしません。

2節『神は天から人の子を見おろして、賢い者、神を尋ね求める者があるかないかを見られた』。神様は天から全てを見下ろしておられます。そして、神様を尋ね求める賢い者を探して、目をとめようとして下さっています。だから、私達は神様の存在を信じ認める賢い者として生き、また神様ご自身、神様の言葉、神様の国、神様の義を求めていきましょう。

3節〜5節『彼らは皆そむき、みなひとしく堕落した。善を行う者はない、ひとりもない。悪を行う者は悟りがないのか。彼らは物食うようにわが民を食らい、また神を呼ぶことをしない。彼らは恐るべきことのない時に大いに恐れた。神はよこしまな者の骨を散らされるからである。神が彼らを捨てられるので、彼らは恥をこうむるであろう』。ここには「神はいない」という愚かな者について記されています。で、結局残念を広げる歩みをし、そのような者達に神様の裁きがある事が記されています。

6節『どうか、シオンからイスラエルの救が出るように。神がその民の繁栄を回復される時、ヤコブは喜び、イスラエルは楽しむであろう』。これはイスラエルの民の回復を求める祈りです。イスラエルの民は神の民の事で、神の民は本来神様との関わりの中に生きる事があるべき姿です。だから、神の民が神様との関係が回復することを願う祈りがここに記されています。そして、今私達は救い主イエス様によって、神様との関係が回復されている事を感謝していきましょう。そして、その関係の回復によって、救い、繁栄、喜び、楽しみが神様によって与えられる事を信じていきましよう。ハレルヤ♪

2025年1月29日(水)
モーニングメッセージ 〜慎みと悟り〜

慎みはあなたを守り、悟りはあなたを保って、悪の道からあなたを救い、偽りをいう者から救う。箴言2章11節〜12節
神様の前に慎み、神様の言葉を悟って行っていくならば、神様の救いを受ける事が出来ます。

2025年1月28日(火)
モーニングメッセージ 〜思慮の無い者にならない〜

思慮のない者の不従順はおのれを殺し、愚かな者の安楽はおのれを滅ぼす。しかし、わたしに聞き従う者は安らかに住まい、災に会う恐れもなく、安全である」。箴言1章32節〜33節
私達は思慮のない者にならないで、神様の言葉に聞き従っていきましょう。そして、安全と安心のある歩みをしていきましょう。

2025年1月27日(月)
モーニングメッセージ 〜神様の戒め〜

わたしの戒めに心をとめよ、見よ、わたしは自分の思いを、あなたがたに告げ、わたしの言葉を、あなたがたに知らせる。箴言1章23節
神様の戒め、神様の言葉に目をとめ、耳を傾けていきましょう。神様の戒め、神様の言葉は私達を正しい道に導き、幸いな人生を歩ませて下さいます。

2025年1月26日(日)
礼拝メッセージ 〜神の子としての冠〜

わたしはすぐに来る。あなたは、自分の冠をだれにも奪われないように、持っているものをしっかり保ちなさい。ヨハネの黙示録3章11節

〜神の子としての冠〜


ハレルヤ御名をあがめます。
本日の聖書のヨハネの黙示録という書簡は、神様が直接ヨハネに書き記すように命令したことによって書かれたものです。そして、当時の迫害されいたキリスト者を励まし、後に起こる事を示して、主の再臨の時を信仰と忍耐をもって待ち望むように勧めています。

で、「黙示」と言われているように、普通の書簡とは異なり、象徴的表現が多く用いられていて、何を意味しているのか分からないところが多くあります。で、私は聖書において分からないところは、分からなくてもよいのではないかと考えています。わかる時が来るのを待つのも大切なのではないでしょうか。
そして、今分かるところをしっかりと心にとめていく事が大切です。
本日の御言葉は分かりやすい教えの一つです。詳しく見ていきましょう。

『わたしはすぐに来る』。これはイエス様が再臨される事の約束の御言葉です。以前、「再臨待望大会」というキリスト教の集まりに参加させていただきました。いろいろな先生方が再臨について、また再臨に備えてどう生きるかを語っていました。私的にはちょっと眠くなってしまう大会でした。で、そういう大会に参加すると、もうすぐにでも再臨が来るのではと思ってしまいましたが、あれからすでに30年以上経っています。イエス様は「わたしはすぐ来る」と言っている割には、遅くなすかなぁ〜と思うのは私だけでしょうか。
イエス様の「すぐ」と私達の考える「すぐ」とは大きな差があるという事です。しかし、いつの日にか来て下さる事には間違いありません。だから、私達はイエス様がこの世に再び来て下さる事を信じて、期待していく事が大切です。

そして、次の御言葉「あなたは、自分の冠をだれにも奪われないように」。今私達は目には見えませんが、冠をかぶっています。聖書の中に記されている素晴らしい冠です。「栄えの冠」「美しい冠」「義の冠」「約束されたいのちの冠」。これはイエス様の十字架の贖いを信じ、救いを受けた者が与えられる神の子としての証の冠です。この冠をかぶって、私達は父なる神様との関わりの中に生かされ、天国に向かって進んでいるわけです。
そして、この冠を奪おうとする者がいます。悪魔サタンです。悪魔はいろいろな策略をもって、神の子としての冠を奪い、信仰生活、教会生活をやめさせようとしてきます。

だから、私達は本日の御言葉の後半『持っているものをしっかり保ちなさい』を実践していきましょう。
今、神の子として私たちが持っているものは信仰です。そして、この信仰が神様との関わりを続ける為に大切なものです。実際、信仰を持っているから、今私達は教会に集まり、目に見えない神様をほめたたえ、喜びに満たされる事が出来ています。

また、この信仰によって聖書の御言葉を神の言葉と信じ、その教えに生きていこうとすることが出来ます。
また、信仰によって、神様の恵み、神様の助け、神様の癒し、神様の導きを信じ期待して、実際に受け取ることが出来ます。私達はこの信仰をしっかりと保っていきましょう。

次に私達が持っているものは愛です。イザヤ書に『わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している』とあります。今私達は神様に愛されています。神様の愛が一人一人に与えられています。この神様の愛によって私達は安心して生きる事が出来ます。

さらに、この神様の愛は私達を愛する道に導いて、愛する者に変えて下さいます。今私達は神様の愛により、愛する者とされ、神様を愛して礼拝をささげています。また、教会の中で愛し合い、兄弟姉妹の為に祈り、支え合い、助け合い、仕え合っています。神様の愛が誰かを喜ばす、楽しませる、励ます行動を行わせて下さいます。この神様の愛をしっかりと保っていきましょう。

そして、この信仰と愛を保っていく為に、日々祈り、御言葉に耳を傾け、神様との交わりの時を大切にし、神様の立てた教会に集い、共に天国を目指していきましょう。

『わたしはすぐに来る。あなたは、自分の冠をだれにも奪われないように、持っているものをしっかり保ちなさい』。神の子としての冠をかぶっている者として、信仰と愛をしっかり保っていきましょう。ハレルヤ♪

2025年1月26日(日)
モーニングメッセージ 〜悪者の誘いに従わない〜

わが子よ、悪者があなたを誘っても、それに従ってはならない。箴言1章10節
現代において、悪者の誘いが多くあります。そして、不幸を広げていく結果になります。悪者の誘いに従わないでください。悲しみや苦しみや不幸を広げないようにして下さい。
本日は礼拝です。

2025年1月25日(土)
モーニングメッセージ 〜主を恐れる〜

主を恐れることは知識のはじめである、愚かな者は知恵と教訓を軽んじる。箴言1章7節
本日の御言葉に「主を恐れる」とありますが、これは神様の存在を認め、信じ、ほめたたえる事です。そうすることにより、知恵と教訓を受ける事が出来ます。
明日は礼拝です。

2025年1月24日(金)
モーニングメッセージ 〜箴言の目的〜

ダビデの子、イスラエルの王ソロモンの箴言。これは人に知恵と教訓とを知らせ、悟りの言葉をさとらせ、賢い行いと、正義と公正と公平の教訓をうけさせ、思慮のない者に悟りを与え、若い者に知識と慎みを得させるためである。箴言1章1節〜4節
本日から箴言に入ります。この箴言の目的が本日の御言葉に記されています。知恵、教訓、賢い行動、正義と公正、知恵や慎みを人々が受ける為です。神様の言葉に耳を傾けていきましょう。

2025年1月23日(木)
モーニングメッセージ 〜力を尽くしほめたたえる〜

息のあるすべてのものに主をほめたたえさせよ。主をほめたたえよ。詩篇150篇6節
神様をほめたたえる事に力を尽くし、また、多くの人々が神様をほめたたえる事が出来るように力を尽くしていきましょう。

2025年1月22日(水)
水曜集会 〜悪しき者、正しい者〜

ハレルヤ♪御名をあがめます。本日は詩篇52篇です。この詩篇は悪しき者と正しい者について記されています。

1節『力ある者よ、何ゆえあなたは神を敬う人に与えた災について誇るのか。あなたはひねもす人を滅ぼすことをたくらむ』。力ある悪しき者は、人を滅ぼす事を計画します。世界の歴史を見てもそれがわかります。そして、それが現代においてもなされています。

2節〜4節『虚偽を行う者よ、あなたの舌は鋭いかみそりのようだ。あなたは善よりも悪を好み、まことを語るよりも偽りを語ることを好む。欺きの舌よ、あなたはすべての滅ぼす言葉を好む』。ここには虚偽を行う者についていろいろ記されています。人を傷つけ、さらに偽りを語り、滅ぼす言葉を好む。結局、悪しき者は神様に敵対し、人を傷つけ、だまし、滅ぼす事に力を尽くしてしまいます。そして、そのような者が現実に世の中に多くいます。

5節『しかし神はとこしえにあなたを砕き、あなたを捕えて、その天幕から引き離し、生ける者の地から、あなたの根を絶やされる』。そのような悪しき者の運命について記されています。神様によって砕かれ、根絶やしにされます。要は神様の裁きがあるという事です。

6節〜7節『正しい者はこれを見て恐れ、彼を笑って言うであろう、「神をおのが避け所とせず、その富の豊かなるを頼み、その宝に寄り頼む人を見よ」と』。神様を信じる正しい者の悪しき者へのリアクションが記されています。ここに「笑って」とありますが、バカにして笑うのではなく、悪しき者に賛同しないという事です。そして、神様を避け所としない人、富を頼みにする人は結局残念な結果になるという事です。

8節『しかし、わたしは神の家にある緑のオリブの木のようだ。わたしは世々かぎりなく神のいつくしみを頼む』。神様を信じ、神様を頼みとする正しい者について記されています。ここに「神の家にある緑のオリブの木」とありますが、これは神様の守りの中に良い実を結ぶ者の事で、祝福されたものと言う意味です。そして、これからも神様を頼みとしていく事が宣言されています。

9節『あなたがこの事をなされたので、わたしはとこしえに、あなたに感謝し、聖徒の前であなたのみ名をふれ示そう。これはよいことだからである』。神様が悪しき者に対してなされた事、また正しい者に対してなされる事に感謝して、神様の素晴らしさを示していくという信仰告白です。神様は生きて働いておられます。私達は信じて、また御頼りして、正しい者として、神様の祝福を受けていきましょう。ハレルヤ♪

2025年1月22日(水)
モーニングメッセージ 〜楽器を用いてほめたたえる〜

ラッパの声をもって主をほめたたえよ。立琴と琴とをもって主をほめたたえよ。鼓と踊りとをもって主をほめたたえよ。緒琴と笛とをもって主をほめたたえよ。音の高いシンバルをもって主をほめたたえよ。鳴りひびくシンバルをもって主をほめたたえよ。詩篇150篇3節〜5節
私達の教会では、ピアノとギターとウクレレとタンバリンの楽器を用いて賛美をささげています。あと、クリスマスにはハンドベルやハープや大正琴も使います。いろいろな楽器を用いて賛美をささげる事を神様は喜んで下さいます。神様をほめたたえる事に力を尽くしていきましょう。

2025年1月21日(火)
モーニングメッセージ 〜主の素晴らしい働き〜

その大能のはたらきのゆえに主をほめたたえよ。そのすぐれて大いなることのゆえに主をほめたたえよ。詩篇150篇2節
神様は素晴らしい働きをこの地になして下さいました。その一つがイエス様の誕生と十字架と復活です。それにより私達に救いの道が開かれました。感謝です。

2025年1月20日(月)
モーニングメッセージ 〜神様をほめたたえる〜

主をほめたたえよ。その聖所で神をほめたたえよ。その力のあらわれる大空で主をほめたたえよ。詩篇150篇1節
神様をほめたたえていきましょう。神様が造られ、神様の力が現れるこの地において、神様をほめたたえていきましょう。

2025年1月19日(日)
礼拝メッセージ 〜不思議なご計画〜

主よ、あなたは私の神。私はあなたをあがめ、御名をほめたたえます。あなたは遠い昔からの不思議なご計画を、まことに、真実に成し遂げられました。イザヤ書25章1節

〜不思議なご計画〜

ハレルヤ♪御名をあがめます。本日の御言葉に「 遠い昔からの不思議なご計画 」とありますが、これは救いと裁きの両方を含んだ全人類に対する神様の御旨のことです。そして、旧約聖書に記されている一つ一つの出来事も神様による不思議な計画が実行されたものです。天地創造、ノアの箱舟、バベルの塔、アブラハム・イサク・ヤコブの選び、売られた少年ヨセフ、モーセの誕生、出エジプト、荒野での生活、約束の地の分配、士師の活躍、サウル王、ダビデ王、ソロモン王、イスラエル分裂、バビロン捕囚、城壁再建、ローマ帝国の支配などなど。その一つ一つにおいて、神様は救いと裁きの両方を行い、人類に対して神様と共に生きる道を示し、本日の御言葉のように真実を成し遂げられました。

そして、イエス様の誕生、イエス様の三年間の地上での働き、イエス様の十字架、イエス様の復活、イエス様の召天、そしてペンテコステ、教会の働き。その全てに神様の救いと裁きがあり、神様と共に生きる道を示して、真実を成し遂げて下さいました。

特に、イエス様の十字架と復活は神様の不思議な計画そのものです。当時、イエス様の素晴らしい働きにより、多くの人達がイエス様の方へなびいていました。それに対して、律法学者やパリサイ人、宗教的指導者や大祭司、ローマの帝国の王までも不安と恐れを感じ、イエス様を陥れようと策略してきました。
実際、イエス様を言葉の罠にかけようとして、いろいろ質問してきました。それがマタイ福音書22章に記されています。税金問題や死んだ先の人間関係についてなど質問してきましたが、イエス様は罠にかかることなく、神様の知恵をもって答えました。その後、弟子のユダを抱き込んで、イエス様を捕らえ、裁判の場に引きずり出しました。それでもイエス様を十字架刑にする証拠がなく、逆にイエス様の正しさと真実が明らかになりました。結局、反キリスト者達は群衆を焚きつけて「十字架につけろ」と言わせ、力で押し切って十字架につけました。

イエス様を十字架につけたことにより、反キリスト者達は勝利したように見えましたが、実はこれも神様の不思議な計画の一つであり、人類の罪の身代わりとしての働きであり、罪の赦し、救いの成就を人類に対して行って下さったのです。そして、三日目によみがえって、イエス様は死に勝利し、人類に永遠の命、神様と共に生きるいのちを与えて下さいました。

この神様が成して下さったイエス様の十字架と復活と言う不思議な計画を今私達は信じて、神様の救いと恵みの中を生きる事が出来ているわけです。

そして、今この救いにあずかっている私達一人一人の人生にも神様の不思議な計画があり、神様が真実を成し遂げて下さったから、今があるのです。

ここで、少し私自身の事を証させていただきます。私の場合は、父や母がキリスト者であり、教会において生活していました。しかし、子どもの頃は救いの確信もなく、とりあえず礼拝には参加していました。そして、当時毎週土曜日にテレビでやっていたキリスト教の番組を教会の皆さんと集まってみていました。番組の最後に牧師先生が「今、あなたの心臓が止まっても、あなたは天国に行くことが出来ますか?」と。そして、「その確信がない人は手をあげて、テレビの前に出で下さい」と。私は毎週手をあげて、テレビの前に出ていました。で、正直、いつ救いを受けたのかは覚えていませんが、今私の心臓が止まっても天国に行く確信があります。私がイエス様を救い主と信じているからです。

実は、一人一人、イエス様との出会い、救いの体験、癒しの体験、恵みの成就などいろいろあると思います。神様は一人一人にも不思議な計画を持ち、真実を成し遂げて下さっているから、今があるのです。
そして、神様はこれからも不思議な計画を持ち、真実を成し遂げて下さいます。だから、私達はこれからも神様を自分の神である事を信じ認め、神様をあがめ、その御名をほめたたえていきましょう。そして、その御名による素晴らしい恵みを受けていきましょう。ハレルヤ♪

2025年1月19日(日)
モーニングメッセージ 〜勝利を与えて下さる〜

主はおのが民を喜び、へりくだる者を勝利をもって飾られるからである。詩篇149篇4節
神様はご自分の民を喜んで下さいます。そして、勝利を与えて下さいます。感謝です。
本日は礼拝です。

2025年1月18日(土)
モーニングメッセージ 〜主を喜ばせる賛美をささげる〜

イスラエルにその造り主を喜ばせ、シオンの子らにその王を喜ばせよ。彼らに踊りをもって主のみ名をほめたたえさせ、鼓と琴とをもって主をほめ歌わせよ。詩篇149篇2節〜3節
すべての創造者である神様を喜ばせる賛美をささげていきましょう。
明日は礼拝です。

2025年1月17日(金)
モーニングメッセージ 〜新しい心で主の栄光の為に〜

主をほめたたえよ。主にむかって新しい歌をうたえ。聖徒のつどいで、主の誉を歌え。詩篇149篇1節
神様にむかって、新しい心で、賛美をささげていきましょう。神様の栄光の為に賛美をささげていきましょう。

2025年1月16日(木)
モーニングメッセージ 〜神様をほめたたえる〜

その天使よ、みな主をほめたたえよ。その万軍よ、みな主をほめたたえよ。日よ、月よ、主をほめたたえよ。輝く星よ、みな主をほめたたえよ。いと高き天よ、天の上にある水よ、主をほめたたえよ。詩篇148篇2節〜4節
本日の御言葉によると、神様は神様をほめたたえるために存在しているという事です。そして、私達人間もそうです。神様をほめたたえていきましょう。

2025年1月15日(水)
水曜集会 〜新生を求める祈り〜

ハレルヤ♪御名をあがめます。本日は詩篇51篇10節〜19節です。

10節『神よ、わたしのために清い心をつくり、わたしのうちに新しい、正しい霊を与えてください』。悔い改めの祈りをしたダビデは新生を求める祈りをしました。そして、神様に清い心、新しい正しい霊を求めました。私達も同じように求めていきましょう。清い心、新しい正しい霊により、神様の御心の中を歩む事が出来ます。


11節〜12節『わたしをみ前から捨てないでください。あなたの聖なる霊をわたしから取らないでください。あなたの救の喜びをわたしに返し、自由の霊をもって、わたしをささえてください』。「神様の近くを歩ませて下さい」と祈り求めたダビデにとって、神様から離れる事が最大の不幸であり、悲しくつらい事です。私達も神様の近くに生き、神様の支えによって進めるように祈り求めていきましょう。

13節『そうすればわたしは、とがを犯した者にあなたの道を教え、罪びとはあなたに帰ってくるでしょう』。ダビデは救いの道、神様のもとへ帰る道を民に教える事を宣言しました。

14節『神よ、わが救の神よ、血を流した罪からわたしを助け出してください。わたしの舌は声高らかにあなたの義を歌うでしょう』。ここに『血を流した罪』とありますが、ダビデはバテシバの夫ウリヤを戦場で殺させた罪がありましたを。その罪に赦しを求め、また罪からの救いを求めました。私達も自分が抱えている罪を神様の前に打ち明けて、赦しと救いを祈り求めていきましょう。

15節『主よ、わたしのくちびるを開いてください。わたしの口はあなたの誉をあらわすでしょう』。ダビデは自分の口で、神様の誉(義)を宣言しました。私達も赦され救われた者として、神様の義を宣言していきましょう。

16節〜17節『あなたはいけにえを好まれません。たといわたしが燔祭をささげてもあなたは喜んはれないでしょう。神の受けられるいけにえは砕けた魂です。神よ、あなたは砕けた悔いた心をかろしめられません』。神様が受け入れられるものは、砕けた魂、悔いた心です。要は悔い改めです。私達も悔い改めて神様との間にある罪(的外れ)を取り除けていただきましょう。

18節あなたのみこころにしたがってシオンに恵みを施し、エルサレムの城壁を築きなおしてください』
この御言葉は神様との関係の回復を表しています。今、イエス様の十字架の贖いにより、それが成されています。感謝です。


19節『その時あなたは義のいけにえと燔祭と、全き燔祭とを喜ばれるでしょう。その時あなたの祭壇に雄牛がささげられるでしょう』。真の礼拝がささげられる事が記されています。私達もイエス様によって、真の礼拝をささげる事が出来ます。

私達は魂の救いを得ていても、自分の思いや欲による罪(的外れ)に進んでしまう事があります。だから、悔い改めて、神様と共に生きる道を信仰をもって進んでいきましょう。ハレルヤ

2025年1月15日(水)
モーニングメッセージ 〜主をほめたたえよ〜

主をほめたたえよ。もろもろの天から主をほめたたえよ。もろもろの高き所で主をほめたたえよ。詩篇148篇1節
本日の御言葉に三回「主をほめたたえよ」とあります。神様をほめたたえていきましょう。

2025年1月14日(火)
モーニングメッセージ 〜主は、生活を祝福し平和を与え豊かにする〜

エルサレムよ、主をほめたたえよ。シオンよ、あなたの神をほめたたえよ。主はあなたの門の貫の木を堅くし、あなたのうちにいる子らを祝福されるからである。主はあなたの国境を安らかにし、最も良い麦をもってあなたを飽かせられる。詩篇147篇12節〜14節
神様は私達の生活を祝福し、平和を与え、豊かにして下さいます。その神様をほめたたえていきましょう。

2025年1月13日(祝・月)
モーニングメッセージ 〜声と心を合わせて〜

主に感謝して歌え、琴にあわせてわれらの神をほめうたえ。詩篇147篇7節
本日の御言葉に「琴にあわせて」とありますが、これは皆で声を合わせ、心を合わせて、神様をほめたたえなさいという事です。そうしていきましょう。

2025年1月12日(日)
礼拝メッセージ 〜祝福を受け継ぐ為〜

最後に言います。みな、一つ思いになり、同情し合い、兄弟愛を示し、心の優しい人となり、謙虚でありなさい。悪に対して悪を返さず、侮辱に対して侮辱を返さず、逆に祝福しなさい。あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのです。ペテロの手紙第一3章8節〜9節

〜祝福を受け継ぐ為〜

ハレルヤ御名をあがめます。
本日の聖書ペテロの手紙は、キリスト者に向けて書かれたものです。当時のキリスト者は様々な苦難の中にいました。異教徒の生き方に巻き込まれてしまったり、権力者からの非難や攻撃があったり、厳しい状況にあったそうです。ペテロはそのキリスト者たちを励ます為にこの手紙を書きました。
実は、現代に生きるキリスト者も、多様性の時代にあってこの聖書の教えが曲げられてしまったり、真理があやふやになってしまったりしている現状があります。だから、私達はキリスト者として、変わらない聖書の真理に立ち返って、御言葉に生きるべきです。その為にもペテロを通して語られている神様の教えに耳を傾けていきましょう。詳しく見ていきます。

『みな、一つ思いになり』。私達は神様の思い、イエス様の思いに合わせて一つになっていくべきです。聖書に神様の思いが記されています。テモテへの手紙第二2章4節『神はすべての人が救われて、真理を知るようになる事を望んでおられます』神様の思いはすべての人が救われる事、真理を知るようになる事。そして、その為にイエス様が十字架にかかり、三日目に復活し、救いの道を開き、真理を示して下さいました。私達もこの神様の思いをもっ一つになっていきましょう。

次に『同情し合い、兄弟愛を示し、心の優しい人となり』。キリスト者同士がお互いにこのようにあって生きていきなさいという事です。ここに「同情」とありますが、意味は「他人の気持ち、特に苦悩を自分の事のように親身になって共に感じる」です。聖書に『喜ぶものとともに喜び、泣く者と共に泣きなさい』とありますが、まさにこれが同情の実践です。そして、私達は誰かの苦悩に対して、神様のにとりなしの祈りをする事が出来ます。祈っていきましょう。

また、これからも兄弟愛を示していきましょう。実際に教会の中で挨拶をしたり、声をかけたり、祈り合ったり、仕え合ったりしていきましょう。さらに優しい人になっていきましょう。優しい人とは、人の憂いをわかってあげられる人です。人は誰でも憂い(弱さや痛みや破れ)があります。その憂いを突っつくのではなく、繕い合っていきましょう。

次に『謙虚でありなさい』。神様の前に謙っていきましょう。神様は謙る者に恵みを賜うお方です。また人に対しても謙っていきましょう。謙って仕えていく時、神様が高くして下さいます。

次に『悪に対して悪を返さず、侮辱に対して侮辱を返さず、逆に祝福しなさい。あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのです』。普通に考えたら、かなり難しい教えです。私の場合は悪や侮辱に対して、沈黙で対抗してしまいます。で、神様がペテロを通して、なぜこの教えをここに記しているのかと言うと、私達キリスト者に対して「とにかく頑張れ!」と言うのではありません。最後の御言葉『あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのです』という教えが大切になってくるのです。いろいろな人からの悪や侮辱を全て覆いつくすぐらいの神様の祝福を私達は受け継ぐことが出来るという事です。神様の祝福はそれぐらい大きく素晴らしいものであり、私たちを誰かの祝福を祈る者にして下さいます。

本日の御言葉『最後に言います。みな、一つ思いになり、同情し合い、兄弟愛を示し、心の優しい人となり、謙虚でありなさい。悪に対して悪を返さず、侮辱に対して侮辱を返さず、逆に祝福しなさい。あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのです』。この神様の教え通りに生きる事が出来るように、聖霊様が助け導き、背中を押して下さいます。信じてそのように進んでいきましょう。ハレルヤ♪

2025年1月12日(日)
モーニングメッセージ 〜正しく判断され弱い者を支える〜

主はしえたげられた者をささえ、悪しき者を地に投げ捨てられる。詩篇147篇6節
神様は正しく判断され、弱い者を支え助けて下さいます。
本日は礼拝です。

2025年1月11日(土)
モーニングメッセージ 〜愛は寛容〜

愛は寛容であり、愛は親切です。コリント人への手紙第一13章4節
神様は寛容を私達に示し、またどんな時でも親切にして下さるお方です。私達はイエス様にあって、神様に愛されています。
明日は礼拝です。

2025年1月10日(金)
モーニングメッセージ 〜神様の癒し〜

主は心の打ち砕かれた者をいやし、その傷を包まれる。詩篇147篇3節
人は日々の生活の中で、心に傷を負ったり、疲れを覚えたり、いろいろあるのではないでしょうか。私はあります。だから、神様の癒しを受け、神様の愛に包まれていきましょう。

2025年1月9日(木)
モーニングメッセージ 〜主に賛美をささげる〜

主をほめたたえよ。われらの神をほめうたうことはよいことである。主は恵みふかい。さんびはふさわしいことである。詩篇147篇1節
神様に賛美をささげる事は、良い事です。神様との関係が整えられ、神様の恵みや守りを豊かに受ける事が出来ます。

2025年1月8日(水)
水曜集会 〜ダビデの悔い改めの祈り〜

ハレルヤ♪御名をあがめます。本日は詩篇51篇1節〜9節です。

この詩篇は、ダビデがウリヤの妻であるバテシバを寝取って身ごもらせ、さらにそのウリヤを戦争で殺させて、バテシバを自分の妻として迎え入れ、一見、戦争未亡人であるバテシバを妻にしてあげたみたいな感じですが、神様は全てお見通しで、預言者ナタンを通して、神様の言葉をダビデに伝えられた後に、ダビデが読んだ悔い改めの祈りです。

で、ダビデの行動は王としてまた人としてかなりヤバいものだったと思いますが、ダビデは自分の罪を示された時、とにかく悔い改めて、絶対神様から離れない道を歩みました。これは私達にとっても大切なところです。

で、本日の1節〜4節は罪の告白です。

1節『神よ、あなたのいつくしみによって、わたしをあわれみ、あなたの豊かなあわれみによって、わたしのもろもろのとがをぬぐい去ってください』。神様のいつくしみとあわれみを求め、赦しを請い願いました。

2節『わたしの不義をことごとく洗い去り、わたしの罪からわたしを清めてください』。神様に自分の罪と不義を洗って下さいと求めました。

3節〜4節『わたしは自分のとがを知っています。わたしの罪はいつもわたしの前にあります。わたしはあなたにむかい、ただあなたに罪を犯し、あなたの前に悪い事を行いました。それゆえ、あなたが宣告をお与えになるときは正しく、あなたが人をさばかれるときは誤りがありません』。自分の罪を認めています。ここは大切なところです。人は罪を認める事を嫌がります。しかし、全てをお見通しの神様の前には隠さず認めるべきです。

5節〜9節には、罪からのきよめの懇願が記されています。
5節『見よ、わたしは不義のなかに生れました。わたしの母は罪のうちにわたしをみごもりました』。ダビデは自分が罪人である事を認めました。罪とは的外れという意味です。人は神様と言う的から外れ、その行動も正しさや清さから外れてしまいます。私達はまず自分が罪人である事を認めていきましょう。

6節『見よ、あなたは真実を心のうちに求められます。それゆえ、わたしの隠れた心に知恵を教えてください』。この御言葉のように、神様は真実を求められるお方です。私達も神様の前に全てを打ち明けて、真実に生きていきましょう。

7節『ヒソプをもって、わたしを清めてください、わたしは清くなるでしょう。わたしを洗ってください、わたしは雪よりも白くなるでしょう』。ここに「ヒソプ」とありますが、これはきよめの儀式に用いられていた植物で、和名は「ヤナギハッカ」です。とにかくダビデはきよめを求めました。きよめられるには、悔い改めと神様の赦しが必要です。今、私達にはイエス様の十字架の血潮があり、それによってきよめられます。私達も悔い改めるべきは悔い改めて、神様の赦しを受け、きよめられていきましょう。

8節『わたしに喜びと楽しみとを満たし、あなたが砕いた骨を喜ばせてください』。悔い改めによる神様との関係の回復を求める祈りです。神様との関係の回復には、真の喜びと楽しみがあります。

9節『み顔をわたしの罪から隠し、わたしの不義をことごとくぬぐい去ってください』。今、私達はイエス様の贖いの業により、罪・不義が赦され、きよめられています。この恵みの中にいる者として、悔い改め、神様のきよめ、神様を求める事を大切にしていきましょう。ハレルヤ♪

2025年1月8日(水)
モーニングメッセージ 〜永久に全てを治められる〜

主はとこしえに統べ治められる。シオンよ、あなたの神はよろず代まで統べ治められる。主をほめたたえよ。詩篇146篇10節
神様は永久に全てを治められるお方です。神様の統治の中を生きる事が人にとって、最も安心な事です。

2025年1月7日(火)
モーニングメッセージ 〜真実を見られるように〜

主は盲人の目を開かれる。主はかがむ者を立たせられる。主は正しい者を愛される。主は寄留の他国人を守り、みなしごと、やもめとをささえられる。しかし、悪しき者の道を滅びに至らせられる。詩篇146篇8節〜9節
神様は私達が真実を見られるようにして下さり、立ち上がらせ、愛し、支えて下さいます。感謝してお任せしていきましょう。

2025年1月6日(月)
モーニングメッセージ 〜永久に真実を守る〜

主は天と地と、海と、その中にあるあらゆるものを造り、とこしえに真実を守り、しえたげられる者のためにさばきをおこない、飢えた者に食物を与えられる。主は捕われ人を解き放たれる。詩篇146篇6節〜7節
神様は永久に真実を守って下さり、私たちを満たし、また様々なものから解放して自由にして下さいます。

2025年1月5日(日)
礼拝メッセージ 〜イエス様の事を〜

ですから、天の召しにあずかっている聖なる兄弟たち。私たちが告白する、使徒であり大祭司であるイエスのことを考えなさい。ヘブル人への手紙3章1節

〜イエス様の事を〜


ハレルヤ御名をあがめます。
本日の御言葉に「ですから」とあります。っという事は、その前の御言葉に目をとめるようにという事です。
ヘブル人への手紙2章17節〜18節『したがって、神に関わる事柄について、あわれみ深い、忠実な大祭司となるために、イエスはすべての点で兄弟たちと同じようにならなければなりませんでした。それで民の罪の宥めがなされたのです。イエスは、自ら試みを受けて苦しまれたからこそ、試みられている者たちを助けることができるのです』

イエス様が十字架にかかり、苦しみを受け、私たちの罪の身代わりになり、赦しと救いを与えて下さったという事です。そして、そのイエス様は私達を助ける事が出来るお方ある事が記されています。

このイエス様の赦しと救いと助けがあるのだから、本日の御言葉のようにしなさいという事です。

そして、本日の御言葉では、まず『天の召しにあずかっている聖なる兄弟たち』と呼びかけています。私達の事です。ちなみに「天の召し」とは、イエス様により罪が赦され、魂の救いを受け、天の神様との交わりに入れていただき、天国の約束が与えられている者の事です。今私達はそのような恵みの中にいる事を覚えて感謝していきましょう。

そして、天の召しにあずかっている私達がすべきことが『使徒であり大祭司であるイエスのことを考えなさい』です。私達は日々の生活の中でいろいろ考える事があると思います。まず「何、食べようかなぁ?」と考えるのではないでしょうか。私はよく考えます。私は毎朝5時に教会に来て、祈ったり、デボーションをしたりして、教会の二階で朝食をとります。で、「何、食べようかなぁ?」と考えます。で、結局「あるものでいいや」と。
あと、私がよく考えるのが、自分が抱えている重荷についてです。これは日によって違いますが、悩みだったり、病気だったり、今日やらなくてはいけない事だったりいろいろです。
みなさん、それぞれ考える事があると思いますが、私達はキリスト者として、本日の御言葉のように使徒であり、大祭司であるイエス様の事を考えていきましょう。使徒とは、イエス様が福音を伝える為に選んだ弟子の事です。実はイエス様ご自身も福音を伝える働きをしておられます。あと、この使徒には、身命をなげうって努力する人と言う意味もあります。例えば「平和の使徒」は、平和の為に身命をなげうつ人の事イエス様も平和の使徒です。そして、福音の使徒です。イエス様は福音を伝えて、神様との平和を造るお方である事を信じ覚えて、このイエス様が私たちと共にいて下さる事をいつも考えていきましょう。

また、イエス様は大祭司です。大祭司とはユダヤ教の祭司階級のトップの事です。で、この大祭司の職務は神様の意思を民に伝え、一年に一回至聖所に入り、神の民を代表して生贄の動物の血を注いで罪の贖いの業をしていました。しかし、歴代の大祭司の中にはその働きにふさわしくない人たちもいたそうです。

で、イエス様は真の大祭司です。実際、十字架にかかり、血を流して、永遠の贖いの業をなして下さり、赦しと救いを与えて下さいました。さらに、イエス様は三日目によみがえられ、信じる人々に神様と共に生きる永遠の命を与え、今は天において神様の右に座して、私達の為にとりなして下さっています。

イエス様は私達に赦しと救いととりなしを与えて下さる大祭司です。私達はこのイエス様の事を考えていきましょう。そして、イエス様による赦しを日々感謝し、イエス様による様々な救いに期待して、さらに弱い私達をいつもとりなして助けて下さる事を思って、信仰の道を歩んでいきましょう。イエス様は私達の生活の全てにおいてもとりなして下さり、時とチャンスを与えて、恵みにあずかるようにして下さいます。


『ですから、天の召しにあずかっている聖なる兄弟たち。私たちが告白する、使徒であり大祭司であるイエスのことを考えなさい』。イエス様の事を考えて、思っていきましょう。ハレルヤ♪

2025年1月5日(日)
モーニングメッセージ 〜主に希望を持つ〜

ヤコブの神をおのが助けとし、その望みをおのが神、主におく人はさいわいである。詩篇146篇5節
神様は私達を助けて下さいます。神様に希望を置いていきましよう。
本日は礼拝です。

2025年1月4日(土)
モーニングメッセージ 〜生きてる限り主をほめたたえる〜

主をほめたたえよ。わが魂よ、主をほめたたえよ。わたしは生けるかぎりは主をほめたたえ、ながらえる間は、わが神をほめうたおう。詩篇146篇1節〜2節
生ける限り神様をほめたたえていきましょう。神様は私達の賛美の声を待っておられます。そして、その声に恵みと守りを持って答えて下さいます。
明日は礼拝です。

2025年1月3日(金)
モーニングメッセージ 〜主の素晴らしさを語る〜

わが口は主の誉を語り、すべての肉なる者は世々かぎりなくその聖なるみ名をほめまつるでしょう。
詩篇145篇21節

今年も口の言葉をもって、神様の素晴らしさを語り、賛美の声を高らかに上げていきましょう。

2025年1月2日(木)
モーニングメッセージ 〜悪しき者を滅ぼす〜

主はおのれを愛する者をすべて守られるが、悪しき者をことごとく滅ぼされます。詩篇145篇20節
神様を愛して、神様に関する事を大切にしていきましょう。神様が守って下さいます。

2025年1月1日(水)
元旦礼拝 〜2025年の御言葉〜

多くの民族が来て言う。「さあ、主の山、ヤコブの神の家に上ろう。主はご自分の道を私たちに教えてくださる。私たちはその道筋を進もう。」それは、シオンからみおしえが、エルサレムから主のことばが出るからだ。
イザヤ書2章3節


ハレルヤ御名をあがめます。
本日の御言葉は、2025年の藤沢羽鳥福音教会の御言葉です。で、この御言葉は終末預言と言われるもので、イザヤ書2章2節に「終わりの日に」と記されています。年の初めに終わりのメッセージというのもどうかと思いますが、神様はいつの日にかこの世を終わりになさいます。もちろんいつかはわかりませんが、世の終わりに起こることが聖書に予言されていて、実際起こっています。そして、その終わりが近づいている今、私達はより一層神様の言葉に耳を傾けて、その教えに生きる事が大切です。本日の御言葉には世の終わりが近づいている今、私達がすべきことが記されています。詳しく見ていきましょう。

『さあ、主の山、ヤコブの神の家に上ろう』。簡単に言うと「教会に行って礼拝しよう」です。以前から言っていますが、礼拝をささげる事は神様を自分の神であると認める事になります。礼拝は大切な信仰告白の一つです。また、礼拝をささげる事により、神様のご臨在にふれ、癒され、清められ、満たされ、解放されます。だから、ここにいるだけでも神様の恵みがあります。この「神様の恵みがあります」を日本の正月らしい言葉で表現すると、「神様のご利益があります」。2025年私達は主の山・神の家である教会において、初詣をしているわけですから、必ず神様ご利益(恵み)があります。

次の御言葉にいきます。『主はご自分の道を私たちに教えてくださる』。ここに「ご自分の道」とありますが、これは神様と共に生きる道の事です。そして、その道は聖書を通して神様が繰り返し教えています。

一か所聖書を開きます。マルコの福音書12章29節〜31節『イエスは答えられた。「第一の戒めはこれです。『聞け、イスラエルよ。主は私たちの神。主は唯一である。あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。第二の戒めはこれです。『あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい。これらよりも重要な命令は、ほかにありません』
ここに「主は唯一である」とあります。私達は唯一の神を信じていきましょう。その信仰をもって生きていきましょう。そして、その神様を全てを尽くして愛し、その神様との交わりを大切にしていきましょう。さらに、御言葉にあるように隣人を愛していきましょう。これにより平和と喜びが広がり、自分自身の幸せにつながっていきます。

これらの御言葉を見てもわかるように、神様が私達に示している道は、信仰の道・愛の道です。この道を私達は進んでいきましょう。

最後に『私たちはその道筋を進もう。」それは、シオンからみおしえが、エルサレムから主のことばが出るからだ』現代のシオン(神の国)エルサレムとは、教会の事です。そして、私達一人一人が教会であり、今私達一人一人から神様の教え、神様の言葉が出ています。私達は神様から教えられた事を今年ぜひ発信して下さい。聖書に『みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。忍耐の限りを尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい』とあります。私達は今神様の教えに生きている者として、その教え、その言葉を伝えていきましょう。御言葉は福音そのものであり、その福音によるイエス様の救いを受ける大切な者です。

『さあ、主の山、ヤコブの神の家に上ろう。主はご自分の道を私たちに教えてくださる。私たちはその道筋を進もう。」それは、シオンからみおしえが、エルサレムから主のことばが出るからだ』。2025年この御言葉を心にとめ、教会においての礼拝を尊び、神様の言葉・教えに耳を傾け、その道を歩み、そして御言葉を宣べ伝えていきましょう。ハレルヤ♪

2025年1月1日(水)
モーニングメッセージ 〜主を信じ認めほめたたえる〜

主はおのれを恐れる者の願いを満たし、またその叫びを聞いてこれを救われます。詩篇145篇19節
今年も神様を信じ認めほめたたえていきましょう。神様はそのような者の願いを聞き、救いをもって答えて下さいます。
今年もよろしくお願いします。